時計の秒針と本を捲っている音が室内に、重なりあって響く。
     祐一は自室でノートを広げて勉強をしており、友人達が見たら似合わないと言いそうな雰囲気だろう。
     勉強が嫌いなのは確かだが、祐一は母親―――秋名からこっちの大学に行けと命令に近い口調で言われている。
     命令する様に言われたが、祐一にとってはこの方が秋名らしいのが分かっているので文句は言わなかった。
     文句を言った所で逆に反発されて口論では負けるのが、火を見るより明らかなので言い返せなかったのもあるだろう。
     祐一はその事を思い出して一度、シャープペンを机に転がす。
     適当に転がったシャープペンを指で弾いて、椅子の背凭れに体重を掛けて寄り掛かる。

 

    「そろそろ、話は終わった頃か?」

 

     リビングで話していると思われる秋子と名雪を思って、祐一は思わず確認する様に独り言を洩らしてしまう。
     祐一はどあのを食い詰める様に見て、誰もいない事を確認して独り言が聞かれなかった事にほっとする。
     さて、と気合を入れるように祐一は頬を叩いて転がしたシャープペンを右手に握ってやりかけの参考書を開始した。

 

     

 

     暫らく祐一は参考書に集中をしていたが、どたどたと勢い良く階段を上がって来る音が響き渡った。
     隣部屋のドアがバタンと身体を竦ませるような音を立てて、閉められていた。
     祐一は気になったので隣の部屋に向かうが、ドアがまるで身近にある繋がりを遠ざけている様に感じる。
     ドアを叩いて何があったか祐一は確かめようとするが、躊躇いを感じたのか叩く寸前で止めてしまう。
     はぁと小さく吐いた溜息は、空気に混じって消えていく。
     祐一はリビングにいると思われる秋子に話を聞こうと、階段を降りて行くが数段下りた所で名雪の部屋に向かって振り返る。

 

 

     キッチンには秋子が既に料理を作る事に没頭している姿が見受けられる。
     ただ、秋子が着ている服の右肩部分がほんの僅か、水滴の跡が目を凝らせば分かると言う程度湿っていた。

 

    「……秋子さん」
    「あら、どうしました? 祐一さん」

 

     いつもと変わらない表情の秋子は、料理をしていた手を止めてエプロンで濡れた手を拭きながら祐一に近付く。
     祐一が言葉を発しようとするタイミングで、秋子のほっそりとしている指が口を塞ぐ。
     秋子は祐一の言いたい事が分かっているらしく、にこりと微笑んで身に付けている白いエプロンをするりと外す。
     エプロンはふわりとダイニングテーブルの上に掛けられる。

 

    「祐一さんは優しいですね。名雪の事が気になるのでしょ?」
    「……はい」

 

     二人はダイニングテーブルの椅子に対面になる様に座り込む。
     秋子は両手で頬杖を付きながら、祐一の事を見通す様にジックリと目を見つめる。

 

    「名雪はああ見えても、芯はしっかりしているので大丈夫ですよ」

 

     秋子の言い方は自分の娘が立ち直る事を確信している表情で祐一にゆったりと語り掛ける。
     秋子はリビングからは絶対に見えない、名雪の部屋の方に向かって顔を向ける。

 

    「さっきまでの名雪の様子はどうだったんですか?」
    「学校では無理していた様ですから、思いっきり泣いていましたよ」

 

     秋子は自分の右肩部分を指しながら、名雪が泣き付いた事を示す場所を祐一に教える。
     祐一の顔は嫌悪感に包まれた表情になっており、自分が悪いと言いそうであった為秋子は咎める様に視線をキツクする。
     秋子の怒気迫る表情を見て、祐一は身を竦ませながら秋子に謝るがこの行為はあまり意味が無いと気付かなかった様だ。

 

    「祐一さん、謝るなら朔夜さんと幸せにならないと駄目ですよ」
    「はい」

 

     シンプルに一言だが、祐一は力強く頷いた事を確認した微笑みながら秋子は立ち上がってエプロン手早く付ける。
     秋子は笑顔でキッチンに向かって行くが、その時の見た穏やかな表情は最近見た中でも一番の物であった。

 

 

    「祐一さん、料理が出来たので名雪を呼んで来て下さい」

 

     キッチンからは香ばしい匂いがダイニングに漂っており、いつ見ても美味しそうな料理がテーブルに並べられていく。
     祐一は名雪を呼びに行く前に一度、料理を眺めてから階段を上がって行く。
     トントンと軽快なステップの音を立てながら、部屋のドアをノックするが返事は数秒たっても返って来なかった。
     祐一は気になって力ずくで鍵が掛かっているドアを開けようとするが、開くわけが無かった。
     僅かに部屋の中から声が断続的に聞こえてきているが、それは声と言うより嗚咽であった。
     祐一は自嘲気味に笑って、力無く冷え切ったフローリングの床に腰を下ろす。

 

    「何やっているの? 祐一」

 

     目をウサギの様に赤く充血させたまま名雪はドアをゆっくり開けて、祐一を見下ろす様に佇んでいた。

 

    「夕飯だから……呼びに来たんだ」

 

     じゃあ行こうよ、と名雪は力強く祐一の手を握り引っ張りながら秋子が準備をして待っているダイニングに向かって行った。