ちゅんちゅん、とスズメのさえずりが聞こえて来たがまだこの家の住民は眠っていた。
     バイクや車の騒音が響いたりしているが、この家の住民は目を覚まさなかった。
     しかし、徐々に陽射しが強くなっておりカーテンで遮っても室内は暑くなって来ていた。
     その暑さに慣れきっていない名雪は何度も寝返りを打つが、眉間に皺が寄ってきている。
     タオルケットは既にベッドから名雪に蹴っ飛ばされて転がり落ちて空しいそうだ。
     だらだらと汗をかいているが扇風機が回っている分、暑さは揺らいでいる。
     それでも北国育ちの名雪には酷な暑さなのは間違い無いだろう。

 

    「う〜、暑いよ……」

 

     何時もだったら部活の為、早起きしているが一昨日2年生が名雪の後を引き継いでいるので後は楽になっている。
     なのに、この暑さで起こされるのが納得行かない様だ。
     むっくりと身体を起こして、パジャマの襟を掴んで煽るけど熱風を巻き起こすだけだった。
     シャワーを浴び様にも水道が止まったままなので名雪は肩を落とした。

 

    「そう言えば……祐一はどうしているんだろう?」

 

     ゆっくりとドアを空けると部屋と違い、通路は僅かヒンヤリとしており気持ち良さそうに名雪は目を細めた。
     床が気持ち悪いほどぬるくなってから名雪は動き出す。
     名雪が立っていた部分はじんわりと汗でくっきりと足跡が出来あがっていた。
     トコトコ、と祐一の部屋の前まで行くと軽くノックをしても反応が無かった。
     祐一に聞こえない様にドアから顔を覗かせて、寝ているかを確認する。
     ベッドの上で身動ぎもしない祐一がいたので音を立てないように近づく。
     ギシギシ、と床が鳴るくらいでは起きないのが分かると普通に歩き出す。

 

    「?……祐一の部屋の方が涼しいよ」

 

     名雪は気になって余り物が置かれていない祐一の部屋をキョロキョロ見まわし始めた。
     壁にはクーラーが掛かっており、それを見つけた名雪はこめかみに青筋を立て始めた。

 

    「えっと、リモコンは……」

 

     ピッピッ、と設定温度を32℃まで上げて、暖房を送り出す。
     熱風が送りだしたエアコンによって祐一の寝顔は歪み始めた。
     名雪はとっくに部屋から出てドアを閉めて通路に腰を下ろした。

 

    「あ〜、涼しいよ」

 

     ひんやりした床で座りこんで名雪は祐一が起き出すタイムを測りだした。
     陸上部でのタイムの数え方がこんな事で訳に立つとは思わなかった名雪は苦笑いを洩らす。
     目を瞑りながら刻々と過ぎる時間を数える名雪。
     その後、祐一が絶叫を叫びながら起きたのは1分後だった。

 

     

 

    「全く、勝手に設定変えやがって」

 

     祐一は空気を入れて膨らんでいる名雪のほっぺを突っ突くと情け無い音を出して萎んでいく。

 

    「……ズルイよ、一人でエアコン使用して」
    「なら、一緒に寝れば良かったか?」

 

     うっ、と答えに詰まる名雪は顔を赤くしながら俯きだす。
     祐一は訳の分からない理論で勝ち誇った顔になり、笑い声を洩らした。
     そして、名雪の頭を軽く叩いてリビングに降りて行った。
     名雪は溜息を吐いて寝ていた部屋に戻って、ボストンバッグから着替えを取り出して着替えを始めた。

 

     

 

      水色のTシャツにスパッツの組み合わせに着替え、長い髪をポニーテール状にしてリビングに降りて行った。
     リビングで朝食を摂りながら暫し談話しているとチャイムの音が鳴ったので、談話は自然にお開きになった。
     祐一が玄関を開けるとそこには祐一の母親――――相沢 秋名が佇んでいた。
     玄関を開けた風圧で薄い蒼のショートヘアが僅かになびいた。
     秋名は口元に煙草を咥え込んだまま、手を上げて久しぶりの挨拶を交す。

 

    「久しぶりだな母さん」
    「元気そうだな祐一」

 

     それだけの挨拶を済まして、秋名は玄関に上がり込む。
     一つ靴が多く置かれているの事に気づいた秋名は、なるほどと呟いた。

 

    「祐一、彼女でも出来たか?」
    「はぁ?何言っているんだよ……名雪が勝手に付いて来たんだよ」

 

     名雪?、と祐一に聞き返して暫し思い出そうとする。
     秋名の頭の中では名雪の名前を総動員して思い出そうと動いている。

 

    「ああ……秋子の娘か?」
    「姪の名前を忘れるなよ……普通は忘れないぞ」
    「7年も滅多に連絡が無いまま経てば、私は忘れるが?」

 

     秋名は肩をすくませて、リビングに向かって行った。
     玄関に置かれている複数の荷物が全て、放置されているので祐一は溜息を吐いて運び出し始めた。

 

 

     名雪はリビングのドアが開いた音に反応して、立ちあがった。

 

    「お久しぶりです。秋名さん」

 

     ペコリ、とお辞儀した頭とポニーテールが一緒に動く。
     秋名は嘗める様に名雪を見て、ようやく名雪の顔と名前が合致した様だ。
     名雪は秋名が自分の顔を見つめている事に首を傾げているが、まさか忘れられたと思いもしないだろう。

 

    「ああ……久しぶりだね名雪ちゃん」

 

     ごめん名前と顔忘れていた、と酷い事を秋名は口にしないで仕舞いこんだ。