ジェットボーイは抽選を潜り抜けられず、スプリンターズSには出走が出来なかった。
その前に夏の間にジェットボーイは特定の賞金に達していなかったので降格――OPから1600万下に。
降級とも言い、前走が惨敗で人気が無い馬が降格した時には、馬券ファンにとっては狙いやすいと言われている。
一度でもOPを走った事がある馬なら、特に降級戦の1600万下は勝ち易いレースだろう。
降級したので、確実に勝てると言う道理は何処にも存在しないが、それに縋っている人物も多い。
閑話休題。
ジェットボーイは降級したので、出走レースの幅がまた広まったと言えるのだが、秋子は複雑そうな表情。
諦めきれないのか何度も吐息を吐いており、秋子の真正面に座っている秋名が気分を害しているのだが、本人は気付いていない。
秋名は手元の近くに置かれていたスーパーの割引広告をクシャクシャに丸めて思いっきり投げつける。
パコン、と情け無い音を立てて秋子の顔を当たったのだが秋子は気付かず、丸めた広告が床に落ちてコロコロと転がった。
「たかが、降級でここまでになるとは……」
その言葉に反応したのか、ゆらりと顔を上げる秋子。
「たかが、じゃないんですよ。姉さん」
秋名はすかさずに、ある言葉で秋子の心を抉るように畳み掛ける。
今年は中央と地方を含めて2勝なのにか? と秋名は実情を競馬新聞に視線を移しながら囁く。
あう、と秋子としては珍しい可愛げのある呻き声を洩らして、テーブルに突っ伏せる。
今年の現時点での成績は特に悪いと言えるくらい、ガタ落ちしている。
2歳馬の活躍が悪い事もあるが、競馬協会から購入した馬なので走らない事もある。
ちょくちょく賞金を稼いでくれる馬を生産している事が多いので、その点ではサイクロンウェーヴは当たりとも言えた。
クイーンキラは現時点では臆病すぎる性格を何とかしないと、稼いでくれそうも無かった。
「降級して、勝てる確率が上がったと考えろよ」
秋子の言い分だと降級した事はあまり好意的に受け止めておらず、むしろ恥だと考えている節がある。
秋子はジッと、秋名の考えを頭の中で反復をして受け入れる事を思考しているようだ。
短い時間だったか、長い時間だったかが分からないほど秋子は長考して、ようやく考えが纏まったようだ。
「そう……ですね。今は勝つ方が大事でした」
分かれば宜しい、と言いたげに秋名は秋子の髪をグシャグシャになるほど乱暴に撫でる。
秋子はボサボサになった髪を手櫛で戻しながら、秋名に向かって心の中でお礼を呟いた。
ジェットボーイの復帰戦は本日に行われる東京芝1600mのレース――アイルランドトロフィ。
定量戦なので斤量を気にしなくて良いし、57kgなら4歳秋の今なら何の問題も無い。
唯一の問題点があるとしたら、初のマイル戦だと言う事だろう。
馬は1ハロン――200m伸びるとまったく実力を発揮できない馬が多数おり、これを越える事は人も馬も苦労する。
秋子はジェットボーイの調教を自分で行った事が不安になったのか、視線が彷徨いかけるが、秋名の一言で救われる。
「自分の腕を信用しないなら、看板畳んだらどうだ?」
秋名の励まし方は一見乱暴だが、秋子がこれくらいで挫けないのが分かっているからこそ言える方法。
秋子はグッと表情を引き締めてTV画面に向かい合い、丁度ゲートインが始まる所だった。
ジェットボーイは上手い具合にスタートを切り、逃げの体制になるのはいつも通り。
スゥーと先頭に立って逃げるのかと思ったら、外から逃げ馬が追いかけて来たので、素直に2番手に下げる。
とは言え、3番手以下には2馬身程度しか差を付けておらず、更に先頭との差は半馬身程。
そのままレースの動きは変わらず3コーナーを過ぎて大榎を少し越えた所で濁流となった後方馬が先頭に襲い掛かる。
残り525m。
ジェットボーイと、その前を走る馬はまだ手綱も鞭も入れず、気を窺う。
6番手辺りに居た差し馬が、するすると先頭を奪取してそのまま逃げ切ろうと懸命に騎手が手綱を押し捲る。
高低差が2mある坂を越えてから、ジェットボーイの騎手が鞭を入れる。
グングンとは言わないが、一度4番手に下がってからの脚なので少しずつ伸びていく。
残り100m。
ジェットボーイは3番手に浮上し直すが、先頭を争っている2頭から2馬身は離されていた。
そしてゴール。
ジェットボーイは3着になったが、これでは距離の適正が判明したか解りかねない結果となってしまった。
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この話で出た簡潔競馬用語
特に無し。