駆ける馬　７３話

　　　　　サイクロンウェーヴのデビュー戦。

　　　　　天気は生憎の雨であり、シトシトと朝から振り続けているので馬場状態は芝、ダート共に不良馬場となっている。

　　　　　内馬場はグチャグチャに荒れており、外に持ち出さないと厳しい状態。

　　　　　秋子は日が射さない黒い雲が覆った空を見上げて、小さく溜息を吐いた。

　　　　「この天気だと……」

　　　　　サイクロンウェーヴの新馬戦は４レース目なので、ちょっとばかり馬場が荒れる頃であった。

　　　　　デビュー戦なのだから好天気の方がありがたいのだが、今更言っても急に天気が良くなるわけではない。

　　　　「今から雨止まないかな」

　　　　　秋子に連れて来られた名雪も同じように、馬主席から空を見上げてポツリと呟いている。

　　　　　名雪にとっては初めての競馬場だが、あまり感動はしなかったようで一言だけ広いな、と感想を言ったのみ。

　　　　　祐一も同じ様な感想を述べたが、名雪と違い視線をキョロキョロと彷徨わせているので落ち着きが無い。

　　　　　ここが札幌競馬場なので、感想はこれくらいしか言えないかもしれないが。

　　　　　札幌競馬場は深く密集した洋芝を使用しているのでパワーが必要であり、時計は掛かる馬場。

　　　　　まして、２歳馬にはこの雨が祟ってタイムは更に遅くなるのが予想されている。

　　　　　秋子は現時点のサイクロンウェーヴの人気を見るために、天井に取り付けられたオッズ画面を見る。

　　　　　１２頭中６番人気でオッズは１５.７倍。

　　　　　新聞の印は△▲‐‐△だけであり、単穴と言える。

　　　　　サイクロンウェーヴの父はマルゼンスキーなので、この距離――芝１２００ｍが短く感じられているのかもしれない。

　　　　　一番人気には大手牧場の馬が素質馬と認める馬――サッカーボーイと言われる馬を送り込んできた。

　　　　　父ディクタス母父ノーザンテーストの血統で、やや黄褐色を帯びた馬体にやや黒くくすんだ金色のタテガミとシッポ。

　　　　　そして、額から鼻にかけての白い大流星鼻梁を持っていたが、この雨の中では馬体の輝きが失われている。

　　　　　だが、馬自体からの底から溢れんばかりのオーラは、尽きる事が無く輝いている。

　　　　「こういう馬がＧⅠを勝てるのね」

　　　　　秋子がぼやいた言葉は名雪の耳にも届いたらしく、名雪も深く頷いている。

　　　　　祐一は秋子の事をチラリと見て、そうなんだと納得したようだ。

　　　　　どれだけサイクロンウェーヴが戦えるかは分からないが、試すには丁度良いレースとも言えた。

　　　　　第３レースが終わった頃には更に雨足が強くなり、ダートコースはぬかるみの様にぐちゃぐちゃになっていた。

　　　　　これからダートを走る馬は一番大変であり、騎手もいつもより神経を張り詰めて乗らないと馬のスタミナを消耗させてしまう。

　　　　　ダート戦には秋子の所有馬は出走していないので本人には他人事だが、故障発生や落馬シーンは見たく無いのが本音。

　　　　　芝もダートもぐちゃぐちゃなので、どちらのコースも楽ではなく荒れる事が予想される。

　　　　「お母さん、そろそろ始まるの？」

　　　　　名雪はクイクイと秋子の袖を引っ張り、秋子の顔と馬場を見るためにキョロキョロと視線を彷徨わせる。

　　　　　秋子は腕時計を確認してから、あとちょっとよ、と教える。

　　　　　それだけが分かると、名雪はトタトタと周りに迷惑かけないように小走りで大型の窓まで近づいていく。

　　　　　べったりと掌と額を窓に押し付けているので、跡が残ってしまうが名雪は気にしない。

　　　　　ファンファーレが鳴り、奇数順にゲートインが行われていく。

　　　　　そして、スタートを切るのだが本命のサッカーボーイは出遅れてしまう。

　　　　　サイクロンウェーヴは７番手くらいのスタートを切り、まずまずと言える。

　　　　　そのまま位置をキープしていたら、先行の馬が楽に逃げ切ってしまう可能性もあるので手綱を扱いて５番手になる。

　　　　　いつの間にサッカーボーイがサイクロンウェーヴを交わす勢いで３番手に進出しており、入れ込んでいる様には見えない。

　　　　　そのまま、先頭に踊り立つとレースを引っ張っていく。

　　　　　そして直線。

　　　　　札幌競馬場の直線は２６６.１ｍと短いのだが、先程言ったように洋芝を使用しているのでパワーがある程度必要。

　　　　「交わせー！！」

　　　　　祐一は熱くなっているので、サイクロンウェーヴだけを視線で追っている事だろう。

　　　　　だが、サッカーボーイとの差は縮まらず、むしろ逆に差を付けられていく。

　　　　　４馬身、５馬身、７馬身、９馬身。

　　　　　まるで閃光のような走りで無茶苦茶なレースを圧勝劇で見せ付けてしまった。

　　　　　サイクロンウェーヴは離されての６着。

　　　　　検量室前に向かうが、祐一だけは言葉少なめに俯いたまま秋子と名雪の後を付いて行った。

　　　　　検量室前は賑わっており、丁度サイクロンウェーヴと騎手――地方競馬の天野　敬治が戻って来た。

　　　　　地方騎手は今年から地区だけだったのが全国で乗れるようになり、中央で乗るには勝利数を５００勝以上が条件となった。

　　　　　地方から中央に移籍するには１０００勝以上が必要となり、天野騎手は６４８勝しているので乗る事は可能であった。

　　　　　天野騎手によると、成長がまだまだ先だし距離が短いと豪快に言われたので、久瀬調教師と秋子は戦略変更をする為に後日電話する事を決めた。

　　　　　祐一と名雪は１言、２言で会話を終わらせる大人３人をポカンと眺めていた。

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　　　　　この話で出た簡潔競馬用語

　　　　　注１：サッカーボーイ……栃栗毛の馬体を持ち気性が勝った馬だが、種牡馬としても成功している。