あれから毎日、ジェットボーイは1週1000mの馬場を10週走る事を黙々とこなす。
連日のインターバルトレーニングによって、馬体が徐々にだが筋肉質になってきており成果は少しずつ現れてくる。
体重も480kg程だったのが、現在は飼い葉を食べる量が増加したので+16kg――496kg近くになっている。
タイムは1週間前に叩き出した10:59.5が最速で、この後はバラつきが出る様になっていた。
Kanonファームには同じコースしか無いので、飽きない様に右回りと左回りを繰り返して走らしている。
バランス良く調教しないと、筋肉が均等に付かない事がありえるのだから。
「タイムはこれくらいが限界か?」
秋名は本日の調教が終わると、ストップウォッチを秋子に向かって放り投げる。
11:02.6――これがストップウォッチに示されたタイムだった。
本州では真夏日になっており、ここ日高でも一週間前に比べると気温が暑くなっているのでバテるのが早くなる。
「流石に、この暑さでは厳しいですか」
「そうだろうな……この暑さでこっちも参りそうだからな」
ジェットボーイを労わりながら、秋子は額から滴り落ちる汗を手の甲で軽く拭うと洗い場に連れて行く。
秋名だけは家に戻り、アイスコーヒーの準備をしておくと一言だけ秋子に伝える。
水を浴びられるのが嬉しいのか、ジェットボーイは鼻を突き出して秋子にせがむ様な格好になっている。
秋子は微笑みながら、ホースの口を凹ませながらジェットボーイの馬体に水を流していく。
気持ち良さそうなジェットボーイを見て、秋子は自分自身にも掛けようかなと呟く。
この場には現在、ジェットボーイしかいないので秋子が呟いた事に反応する人物は誰も居ない。
秋子が水浴びをするにしても、まずはジェットボーイをキチンと洗わなくてはならない。
最後に薄いステンレスをO字にした汗こきで馬体の水気を弾いていく。
「はい、おしまい」
そして、秋子はポンポンとジェットボーイの額を軽く叩いてから壁のフックに取り付けていたリードを外して放牧地に連れて行った。
家に戻る前に秋子は、コソコソと3人――秋名、名雪、祐一にばれない様に洗い場にやって来た。
祐一と名雪は厩舎掃除が終わるといつも水浴びをしているのだが、秋子は流石に羞恥心があるので隠れるしかない。
姉に見られたら、呆れた表情でジッと見られる事が分かっているので隠れて行う事を選んだ。
秋子は三つ編みを解き、ハラリと髪が乱れる事を構わずそのままにする。
チョロチョロ、とほんの少しだけホースから水の出した音を聞かれない様に注意深く頭に水を被る。
暑さが吹き飛ぶ涼しさを得た秋子は、ふぅと甘ったるく吐息を吐きながら濡れた髪を軽く絞る。
ポタポタ、と髪から流れた滴はコンクリートの床に模様を作り上げていく。
「……さて、戻りますか」
秋子は首に掛けていたタオルで髪を優しく拭きながら、家に向かって歩いて行く。
歩いている間に三つ編みを編みこんで、水を軽く浴びた事をばれない様にする。
リビングに戻ると、秋名は既にアイスコーヒーを飲み終わったのかソファーに深く座り込んでいた。
テーブルに置かれているコップを見ると、秋子のアイスコーヒーは氷が解けており、水位が僅かに上昇している。
水が混じったアイスコーヒーに口を付ける秋子だが、秋名に気付かれない様にほんの僅かに顔をしかめる。
「……味が変わっています」
「そりゃあ……水浴びをしていたらそうなるだろう」
秋名はソファーの背もたれに寄り掛かりながら、咥えていた煙草を天井に向かって吹かすと口端を釣り上げて秋子を見る。
秋子は冷や汗を掻きながら、誤魔化そうとするがジッと見通すように見られているので少し視線を逸らす。
「……やっぱりな」
やれやれ、と秋名は肩を竦めていた。
反論しようとしても、秋子にはこの状態で言い返すのが不可能だと分かっていたので素直に謝る。
これで、あっさりとこの話は決着がついて2人は笑いあった。
秋名が何かを思い出したのか、ポンと掌を叩いてサイクロンウェーヴのデビュー戦が2週間後に決まった事を伝える。
札幌なら応援に行けますね、と秋子は打算を口にした。
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この話で出た簡潔競馬用語
特になし。