セリ市。
今日は馬を買うために来たのではなく、Kanonファームの生産馬を売却するために秋子は名雪を連れてやって来た。
トウショウボーイ産駒の牡馬は必ずセリ登録をしなくてはならず、もし牝馬だったら自分で所有が出来る。
このセリ市――セレクションセールは日高軽種牡馬協会が主催しており、日高地区の牧場で生産された馬が売却される。
今回上場された1歳馬の数は200頭と多いが、どれだけ売れるかは主催者も分からない。
買い手が付かないまま、売却者が希望した価格に届かないと事があると売却者が引き取る事になるからだ。
さらにここで売れないと安く値段を叩きつけられ、買われると別の馬主に高く売却する馬商がいる。
「希望価格は……400万で」
この馬の血統は父トウショウボーイ母父ノーザンテースト母母父アローエクスプレス。
スピード面は十分だが、母は未勝利馬だったので秋子が提示した価格は無難な辺り。
売れなくても秋子は馬主なので、自分で所有する事も出来るのが強みと言える。
名雪はリードを持ちながらキョロキョロと周りの馬を見回しており、曳いている馬と比べようとするが差が分からない。
そうしている間に馬のトモに番号が書かれたシールが貼られる。
「えっと……095番ですね」
セリ市の開始時間は13:00からだが、その前に展示が09:00から行われる。
現在の時間は8時をちょっと過ぎた所なので、セリ市が開始されるのは5時間近く後。
「名雪、その辺で自由にしていて良いわよ」
秋子は受付が終わったので名雪に話しかける。
名雪は暫く、考えていたが秋子からカタログを奪ってリードを手渡す。
「じゃあ、わたしはセリ市までこれを見ているよ」
名雪はカタログを指差しながら近くのベンチに向かって行った。
200ページ付近もあるので片手で持ちきれず、両手で抱えるように持って。
近くにあったベンチに座り込んでペラペラとカタログを捲っていく。
一般人だったら子供が競馬のカタログを読んでいるのは不審に思うが、今の時間なら殆どが牧場関係者なので何も言われない。
名雪は流石に英語と難しい漢字は読めないので、カタカナ部分の馬名しか読めないが楽しそうだった。
勿論、簡略に記されたコメント部分もまともに読んでいないが。
「んと……父ノーアテンション母ナイスデイ母父インターメゾ」
と、名雪は次々とカタカナ化された部分だけを読み上げていった。
馬の写真もあるが毛色の違いしか分からないので、一瞬だけしか見ていない。
写真を見るより、実物は少し視線をずらせば見られるのだから不要と言えるが。
200ページ近くに及ぶカタログは流石に途中で見るのが飽きてくるが、まだまだ展示が始まるちょっと前。
「どうしようかなー」
名雪は馬を見ながら脚をブラブラと揺らし、一度カタログに視線を移してからもう一度馬を見る。
暇つぶしに他の馬を見に行くのも良いと思うが、どうしても自分が世話した馬と比べてしまう問題がある。
誰だって判官ひいきで世話した馬の方が良く見えてしまうだろう。
「暇だから見に行こうっと」
トンと名雪は手に力を入れてベンチから降り、カタログを持ったまま移動をし始めた。
200頭近くいるので、ゆっくりとは見られないがそれでも多数の馬が居る事は変わりない。
なので、名雪はわくわくとしながら馬を見ていく。
勿論、人と馬の邪魔にならないように1頭1頭と遠巻きから見るが、どの馬も遠くからだと同じように見える。
展示の時間になったのか、ぞろぞろと多数の人々が馬に近づいて触り、トモの筋肉などを調べている。
中にはジッと馬の顔を見ている人もいるが、相馬眼は人によって見方が違うのが名雪は初めて知った。
「顔見ても分かるのかな?」
自分が世話した馬の顔を思い出すが、特にカッコいいと思った事は無く至って普通なのは確かだった。
そしてセリ市が始まる。
名雪は会場の裏側から自分が世話をした馬の動向を見守り、秋子が馬を曳く役。
095番なので結構後の方に出番がやってくるので、名雪は秋子と会話しながら待つ。
そして1時間近く経った頃、出番が遂にやってくる。
秋子は馬を曳いて柵に覆われた中央の部分に馬を止める。
「095番、値段は300万からスタートです」
進行役が声を発すると350万と言う声が上がり、次は370万と声高々に値段が釣りあがる。
どうやら3人の馬主が争っているらしく、410万まで上がり他の2人は厳しそうに顔をしかめていた。
結局、この馬は410万で取引され名雪と秋子はホッとした表情で引き上げていった。
名雪は一瞬だけ馬の方を振り返って。
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この話で出た簡潔競馬用語
注1:ノーアテンション……フランスで生産され重賞勝ちは1つも無く、障害も走ったステイヤー。
注2:インターメゾ……当時英クラシック3冠目のイギリスセントレジャーの勝ち馬。