駆ける馬　３８０話

　　　　　祐一が１日だけの帰宅――お祝いが終わった日の翌日。

　　　　　１日のみの祝賀会がリビング中に余韻を残しており、名残惜しい状況になっている。

　　　　　祐一は午後には所属する厩舎に着かなければならないので、帰る支度をしなければならない。

　　　　　とはいえ、持ち物の数はそれほど多くないので、苦労する事も無く荷物の選別が済んでしまう。

　　　　「しばらくの間は騎乗出来ないんだよね？」
　　　　「そりゃあそうだろう。調教から学ぶと思うぞ……後は厩舎作業とかだろうな」

　　　　　名雪の質問に対して祐一は至極真っ当な事を答えるが、名雪は騎手では無いので、そういう質問があるのは当たり前だった。

　　　　　祐一は秋名から手渡された年代物だがキチンと手入れされていた鞭をバッグに入れており、その鞭を名雪が眺めている。

　　　　　まじまじと眺めた後は何か納得したようで顎に手を添えつつ、名雪は目を閉じながら軽く頷いている。

　　　　「なるほど……お母さんも色々考えているなぁ」
　　　　「ん？どういう意味だ」

　　　　　祐一だけは首を傾げており、そんな名雪は祐一を見て溜息を吐いてしまう。

　　　　　だが、名雪も確信出来る訳でもなかったので、ある程度の推測交じりで祐一に説明する。

　　　　「多分だけど、お父さんを超えて欲しい意味合いもあると思うよ」
　　　　「あー……これは秋子さんには大事なものだしなぁ。そういう意味があってもおかしくないか」

　　　　　祐一は名雪の説明で納得したようで仕切りに頷いてから、バッグに仕舞っている鞭をまじまじと見てしまう。

　　　　　それだけ秋子からの想い受け取った事になるので、祐一は精進して成績を上げなくてはならなくなった。

　　　　「所属先は天野さんの所だったよね。美汐ちゃんによろしくね」
　　　　「ああ」

　　　　　これから祐一は騎手としてデビューする為に地方競馬の厩舎――川崎競馬場の天野厩舎に所属する事になる。

　　　　　天野厩舎は最近開業したばかりで元騎手だった天野啓治が引退して、次は調教師として道を拓いていた。

　　　　　騎手としては最終的に数々の重賞を制したがＧⅠには恵まれておらず、ウインドバレーのジャパンダートダービーの２着が唯一の結果。

　　　　　それでも通算勝利数は１０００勝を超えており、地方競馬の中ではトップクラスだったと分かる。

　　　　「さて、そろそろ行かないとな」
　　　　「決して逃げ帰ってこないでね」

　　　　　名雪は毒舌を吐くが、祐一はそれが名雪なりの励まし方だと分かっているのでひらひらと手を振る。

　　　　　名雪は祐一が行ってしまう前に軽く腕を掴んでから、自分よりも身長が高くなった祐一の頬に口付けをする。

　　　　「ん……じゃあ、ちっと頑張ってくるか」
　　　　「頑張ってね」

　　　　　名雪は祐一を見送ってから、自身も祐一に追いつく為に今日も牧場作業を行う。

　　　　　さて、今週の競馬はダンシングウイナーがダービー卿チャレンジトロフィーに出走。

　　　　　中山で開催されるこのレースは距離１６００ｍと安田記念のステップレースとして、出走する馬が多い。

　　　　　とはいえ、京王杯スプリングカップに比べると中山競馬場で開催されるダービー卿チャレンジトロフィー組の成績は本番では今一つ。

　　　　　重賞初制覇を目指す馬の方が出走割合は多く、ＧⅢなのでレースレベルは平均的だろう。

　　　　　さて、初重賞制覇が目標のダンシングウイナーは近走の実績が人気に現れており１番人気に支持されている。

　　　　　不安点は中山競馬場での出走が２回目で、１回目の時は５着と掲示板に乗ったのみ。

　　　　　なので、中山競馬場が苦手の可能性もあり、現状では１番人気ながらオッズは４.３倍と波乱込みと見られている。

　　　　「１番人気だけど、オッズからは不安が読み取れますね」
　　　　「その点は仕方ないだろうな」
　　　　「中山の出走は少ないからね。もうちょっと走っていれば違うかもしれないけど」

　　　　　と、そんな事を言い合っている間にレース発走時間になった。

　　　　　そして、結果は前走マイラーズカップで２着に入ったロイヤルスズカに１歩追い詰められながらも、ダンシングウイナーは首差凌いで勝利。

　　　　　これでダンシングウイナーは無事に重賞初制覇を達成し、安田記念に駒を進める事になるだろう。

　　　　　そして、この勝利は祐一への祝賀としてダンシングウイナーからの粋な演出に違いなかった。

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　　　　　この話で出た簡潔競馬用語

　　　　　注１：ロイヤルスズカ……父はロイヤルアカデミーⅡ。