イチゴサンデーが最初に出産すると他の繁殖牝馬も同調するように2〜3日置きに出産し、無事に全頭の出産が終了した。

     北川だけではなく斉藤も運良く出産を見る事が出来た事に感動しており、これでまた競馬の魅力に近づいたと言えるだろう。

     どの繁殖牝馬も仔馬にキチンと初乳を与えているので、後は怪我をしない様に見守るのが仕事。

     とはいえ、何時何処で怪我をするかは分からないが、24時間見張っている訳にもいかないので、前兆を見逃さないようにしなければならない。

 

    「2人ともお疲れ様。まだ春休みが終わるまで3日程あるからそのまま働く?」
    「斉藤はどうする?」
    「パスしたいところだがなぁ……水瀬さんが期待している様な顔があるからなぁ」
    「うむ。あんな表情をされては逃れるすべは無いだろうな」

 

     名雪はわざとらしく女の武器である上目使いを用いつつ、少しだけ首を傾げており、自分の武器を最大限に利用して最後まで2人を使う魂胆が分かる。

     こんなポーズをされてしまっては2人とも続行を同意するしかなく、男の立場が非常に辛いものだと実感してしまった様だ。

 

    「オレ達の立場低いよなぁ」
    「どう足掻いても、水瀬さんには勝てる気がしないな」

 

     2人は肩を大きく落としつつ、げんなりとした様子で嘆息を漏らしてしまうが、名雪は気にした素振りを見せなかった。

 

 

     その頃、リビングでは秋子が受話器に向かって会話をしており、その口調は嬉しさが込み上げているのが分かるくらい声が上擦っている。

 

    「おめでとう祐一君……いえ、これからは祐一さんと呼んだ方が良いですね」

 

     電話越しで祐一に対する呼び方を変更する事を提案し、秋子本人はそれで決定したのか、秋子は既に定着させている。

 

    「デビュー前に一度、戻ってくるんですよね? 分かりました、その時は壮大にお祝いしますので、楽しみにしていてくださいね」

 

     流石に騎手デビュー前の祐一は多くの食事を食べられないが、秋子はキチンとその点を理解しているので問題にはならない。

 

    「姉さんに電話代わりましょうか?」

 

     秋名がタイミング良く、リビングに入ってきたので秋子は秋名の方を見ながら、祐一に話しかけている。

     秋名の方は秋子が誰と会話しているのかが、分からなかった様で首を傾げているが、秋子が受話器を指差しているので電話を代わる。

 

    「……なんだ祐一か。そうか、合格したのか。おめでとうとだけは言っておく」

 

     秋名の素っ気無い態度に秋子は口を挟もうとするが、秋名が照れている事が分かってしまう。

     あまり、長く会話はしなかった様で秋名は受話器を秋子に手渡してから、ソファーに座ってしまう。

     そして、暫くすると秋子は受話器を元に戻し、秋名の対面に座る。

 

    「祐一さんが今年デビューですね……姉さんの思惑通りでしょうか?」
    「私だって祐一が騎手になるとは思っていなかったがな……祐一が自ら掴んだ道だ。今さら反対する理由もないだろう」
    「そうですけどね……わたしとしてはちょっと心配なんですよ」
    「今から心配してもどうにもならないだろう。まぁ、落馬されたらこっちも困るが」

 

     先ほどの態度と打って変わって秋子の表情は祐一を心配しており、今でも騎手に進むのを反対しているようだ。

     だが、既に祐一は自ら道を示したので、秋子には止める権限は無かった。

 

 

     そんな訳で翌日には祐一は一時的にだが、Kanonファームに帰郷してきた。

     1年と3ヶ月振りになるが、その時よりも騎手らしさ――馬を動かす技術を身に着けたのが伺える筋力が。

 

    「ふーん……騎手としてのスタートラインには立てたようだね」
    「相変わらず辛辣な口だな。んで、あの2人のどちらかが名雪の彼氏か?」
    「何を言っているの? そんな訳無いよ」

 

     あっさりと何の躊躇いも無く名雪は2人の事を彼氏としては否定しており、その事を聞いていた2人はガッカリと肩を落とす。

     照れや恥じらいも無く言ってのける名雪の態度からして事実に違いないが、今のところは脈が無い可能性も。

 

    「えっと……アンテナよ。名雪を落とすなら頑張った方が良いぞ」
    「誰がアンテナだ……水瀬は気になるが、オレはそんな感情は無いんだが」
    「どう見ても北川は水瀬さんに気があると思うんだが……美坂さんが言っているからその可能性は高いと踏んでいるんだが」
    「斉藤……お前もか」

 

     祐一は地方競馬育成センターという男ばかりの場所に居た為か、こうした馬鹿会話は昔より慣れた雰囲気に。

     Kanonファームに住んでいた時は女性陣の中に口を挟める程では無かったので大きな進歩と言えるだろう。

 

    「まぁ、名雪を落とすなら牧場作業をあっさりとこなして、競馬に関して妥協しなければそのうち振り向いてもらえるだろうな」

 

     ポン、と祐一は北川の肩を気安く叩いてから、ニヤリと口端を吊り上げて楽しそうに笑い、訝しそうに名雪がその様子を眺めていた。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     特になし。