駆ける馬　３７０話

　　　　　ペラペラと本を捲る音を立てながら、名雪はボールペンを片手にメモを取っている。

　　　　　ベッドの上にうつ伏せ状態で寝転がって、長く無駄な脂肪が一切無い脚をパタパタと振りながら、本年度の種牡馬事典を読み耽っている。

　　　　　メモの内容は５月の種付け時期に向けて、繁殖牝馬と種牡馬の配合に関する事を記入中。

　　　　　今年は新たに繁殖牝馬として迎えたヤマトノミオとホワイトウインドが初めての種付けを行う。

　　　　　相性の良い血統――ニックスを考えて配合するのが正しいが、繁殖牝馬としてはどこまでやれるかは未知数な存在。

　　　　　インブリードで積極的に攻めるか或いはアウトブリードで無難に攻めるか、は初産駒がデビューしないと、１つの答えに辿り着くのは難しい。

　　　　　ブルーフォーチュンの様に初年度からインブリードを狙う手段もあるが、安易にインブリードは使用しにくい。

　　　　　例えば、Kanonファームの繁殖牝馬ではフラワーロックの産駒はミスタープロスペクター系と非常に相性が良いのが例の１つ。

　　　　　その答えに辿り着いたのが近年であり、産駒の結果が分かる様になってからミスタープロスペスターを中心に種付けを行うように。

　　　　　その過程が無ければ、ミスタープロスペクター系の種牡馬を選択する事は無かったかもしれないのだから。

　　　　「んー、今年はどうしようかな？」

　　　　　秋子からは全面的に信頼を寄せられているとはいえ、奇をてらった配合を選ぶわけにはいかない。

　　　　　奇抜の配合は時に怪物と呼ばれる馬を生み出す事があるが、基本的には博打に近いのだから。

　　　　「ホワイトウインドとヤマトノミオはインブリードが狙いやすい血統だけど、ホワイトウインドは現役時体質が弱かったしなぁ」

　　　　　体質が弱かった馬にインブリードをしてしまうと産駒もそれを受け継ぐ可能性が高くなってしまうので、アウトブリードの方が利用しやすい。

　　　　　名雪は唸りながら、種牡馬事典のページを丁寧に捲りつつ該当しそうな種牡馬を再び探し始める。

　　　　　ふと、ページを捲る手が止まり、名雪は血統と共に写っている青毛の馬体に目が移る。

　　　　「……ソウルオブザマターね。日本では完全に異系だしヤマトノミオとはアウトブリードになるから確定かな」

　　　　　そう呟くと、メモにソウルオブザマター×ヤマトノミオと記入し、大きく分かりやすい丸で囲む。

　　　　　ホワイトウインドの方はブライアンズタイムの従兄弟であるサンシャインフォーエヴァーが候補に。

　　　　　血統構造は母アウトワードサンシャイン以外が一緒で似通った部分が強いのが特徴。

　　　　　ブライアンズタイムより安価で同血統という利点があり、中小牧場にはありがたい存在とも言える。

　　　　　気になる点といえば、ブライアンズタイムと違い芝馬でダート戦では未勝利の経緯があるくらい。

　　　　「今年から日本から種牡馬入りだし人気があると思ったけど、それ程募集が集まっていないのかなぁ」

　　　　　Kanonファームにはサンシャインフォーエヴァーの好印象な評価が聞き及んでおらず、名雪は首を傾げてしまう。

　　　　　本来はブライアンズタイムがサンシャインフォーエヴァーの代替種牡馬として輸入されたにも関わらず、種牡馬としては既に大成功を収めている。

　　　　　そのため、サンシャインフォーエヴァーには種牡馬として懐疑的な評価を与えられていると言っても過言ではない。

　　　　　とはいえ、Kanonファームの様に中小牧場ではブライアンズタイムを何度も種付け出来る状況ではなく、似通った部分が多いなら利用しない手は無い。

　　　　「……うん、ヤマトノミオとホワイトウインドの配合相手は一応決定で良いかな」

　　　　　名雪は種牡馬事典のページを少しだけ折り曲げて、次のページを忘れない様にしてから、身を起こして軽く背伸びをする。

　　　　　本日の競馬はアイシクルランスがＡＪＣＣに出走するので、きりが良い所で終わらせる。

　　　　　そして、丁度レース発走時間になったため、名雪はベッドから降りてリビングに向かっていく。

　　　　　少しタイミングが悪かったのか既にレースは発走しており、残り距離が１２００ｍになった所だった。

　　　　「アイシクルランスはどこ？」
　　　　「後方４番手辺りよ」

　　　　　去年のセントライト記念を制したローゼンカバリーが２番人気に支持されており、１番人気は菊花賞で接戦を演じたアイシクルランス。

　　　　　３番人気は３連勝後に初の重賞出走となるキングオブダイヤが居る。

　　　　　メンバーとしてＧⅠを走った事があるのはアイシクルランスとローゼンカバリーのみ。

　　　　　やや低レベルな印象もあるが、アイシクルランスはここで初重賞制覇を達成して、天皇賞・春に向かいたい所なのだから贅沢は言えない。

　　　　　そして、残り８００ｍ付近から徐々にアイシクルランスを外に持ち出して、優勝目指して進出する。

　　　　　それに合わせるようにローゼンカバリーもじわじわと上がってきている。

　　　　　残り６００ｍ。

　　　　　アイシクルランスは斬れる脚は持たないが長く持続する脚を持つので、ここから捲くって先頭集団に取り付く。

　　　　　早仕掛けに思えるが前のペースは平均よりもやや遅く、前にとっては有利な展開なのだから、判断は間違っていない。

　　　　　残り３００ｍ。

　　　　　ローゼンカバリーが内から追い上げて来たが、アイシクルランスの脚はまだ余裕のある走りで現在は２番手に上がった。

　　　　　坂を上りきってもまだ余裕のある走りで、ローゼンカバリーを１馬身抑えてアイシクルランスは無事に初重賞制覇を達成。

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　　　　　この話で出た簡潔競馬用語

　　　　　注１：ソウルオブザマター……父はダマスカス系のブライヴェイトタームズ。
　　　　　注２：ローゼンカバリー……父サンデーサイレンスで、実際はＡＪＣＣを制覇している。
　　　　　注３：キングオブダイヤ……このレースでは３着に入っている。