ピクシーダンスは白梅賞で4着に入り、賞金の上積みは出来なかったが2番手から走って入れ込まない事を見せ付けた。
既に抑えて走る事は学習はした様で秋子達と調教師に安堵感を与え、次走が楽しみになったのは違いない。
父がサッカーボーイなので成長力に関しては余地があり、現在は成績が悪くても秋辺りには馬体が完成すると言われている。
調教師の言葉には信頼性があり、重賞を勝てるとか大言壮語な事を言われるよりも分かり易くてハッキリした言葉なのだから。
重賞を勝てると言われて、勝てないまま所か未勝利で引退していった馬も数知れず。
そんな事が日常茶飯事なので、ある程度分かりやすい指針――成長力の方を言われる方が信用しやすい。
「まぁ、今回の結果は上々で良いのかな?」
「そう……なるわね。次走に繋がるのは確かだったし、見所はあったとは思うけど」
「……珍しく、歯切れが悪いな。どこか悪い所があったか?」
「ええ、何というか元よりも力強い走りを感じ難いかったんですよ……わたしの勘違いかもしれませんが」
秋子が言う事は信憑性が非常に乏しく、考察にもならない直感からする発言だが、競馬関係者として長年の間に身を置いているので、感の方が正しい事も。
秋子の言葉に秋名と名雪はお互い口を開けて笑い、秋子は年相応に思えないポーズ――頬を小さく膨らませて、怖くない表情で2人を睨んでいる。
「感なら仕方ないね」
「くくっ、そうだな。女の感なら仕方ないな」
むぅ、と秋子は少しばかり眉を顰めてしまうが、2人に合わせるように笑い始めた。
実際に女の感ほど的中が高いのは無いのだから、3人が笑ってしまうのは無理もない話だった。
冬の冷たい風が吹き荒ぶ中で名雪はしっかりと功労馬に騎乗して調教を行う。
調教コースは除雪されているがダートは多くの水分を吸ったため、干潟の様に泥だらけになっている。
それでも1歳馬の調教――追い運動を行わなければならないので、名雪は功労馬――タイフーンの背に跨って1歳馬の集団を追い掛ける。
1歳馬が跳ねてくる泥を被りながらも、タイフーンはしっかりと名雪の指示に従って強弱を付けつつ、最後方の馬に並びかけたりする。
並びかけられた馬は行く気を見せて、タイフーンを一気に突き放す訳では無いが、じわじわと差を広げていく。
そして、同じ事を10週近くした所だろうか、名雪はタイフーンの手綱を強く引っ張り、徐々にギャロップからキャンターに切り替える。
最終的に馬場のカーブ付近で立ち止まると、1歳馬もそれに釣られる様に立ち止まってタイフーンに先導されて、馬場の出口に向かう。
「厩舎に戻ったら、馬体を洗わないとね」
「そうですね。これだけ真っ黒に汚れたままだと可哀想ですから」
特に名雪は着ている服――調教用のジャンパーは泥を被り、いくつもの水玉模様が出来上がってしまっている。
顔面にも泥を被っておりゴーグルを付けていたとはいえ、頬や顎などにも汚れがある。
「……やれやれ。わたしも泥だらけになったけど仕方ないか」
汚れたジャンパーを脱ぎ捨てて、汚れ1つ無い綺麗なジャンパーを羽織ってからお湯で絞ったタオルで顔を拭きながら、そんな事をボヤく。
ジーンズまで真っ黒になってしまったが今は着替える余裕が無いので、放置して厩舎横の洗い場に向かう。
既にスタッフが馬を洗っており、名雪も洗い終わっていない馬を順次に洗い始める。
全ての業務が終わると、名雪は家に戻って抱え込んでいた洗濯物を洗濯機に放り込んでからジーンズを着替える為に自室に向かう。
先程と同じ様なジーンズに履き替えてから、名雪がリビングに向かうと秋子がタイミング良く淹れ立てのコーヒーを出してくれた。
「ありがと」
名雪は秋子にお礼を言い、コーヒーカップを両手で包んで持ちながらカップに口を付けて息を吹きかけつつ、ゆっくりと飲み始める。
並々と注がれたコーヒーは充満な香りが名雪の鼻腔をくすぐり、冷え切った身体を芯から温めていく。
「ふう……生き返ったよ」
「お疲れ様。流石にこの馬場だと1歳馬は厳しそうね」
「そうだね。そのうち慣れると思うけど、もうちょっと時間が掛かるかも」
名雪の言う意図が分かったようで秋子はしきりに頷いてから、何かを何かを思い出したのか、ポンと手を叩く。
「そういえば、そろそろ今年の2歳馬の馬名決めてほしいから、案をお願いして良いかしら?」
「全然、問題ないよ」
名雪はOKを出してから、サイドボードに仕舞われている95年度産の現2歳馬の血統表を取り出して自室に戻っていった。
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この話で出た簡潔競馬用語
特に無し。