駆ける馬　３６１話

　　　　　菊花賞が終わった翌日――月曜日の競馬新聞には衝撃的な文章が一面を飾った物が発行された。

　　　　　その内容は菊花賞馬のダンスインザダークが屈腱炎を発症したと言う速報で、朝の新聞には間に合わなかったので、夕方には競馬関係者全員に広まる。

　　　　　上がり３ハロンのタイムが３３.８秒という３０００ｍ戦とは思えない切れ味を発揮し、勝利の代償として支払ったのが屈腱炎となってしまった。

　　　　　高い代償を支払って得たのは菊花賞と言う一生に一度しか得られない栄光の座だけだったが、間違いなく菊花賞のレース振りはファンの記憶に残るだろう。

　　　　　上がり３ハロンで３３.８秒の脚を繰り出した菊花賞馬として。

　　　　　しかし、残された方――ダンスインザダークに敗れた馬の陣営からしてみれば、複雑な勝ち逃げをされた感覚。

　　　　　既に引退して来年の春から種牡馬入りする事まで決定しているのだから、堪ったものではない。

　　　　「……勝ち逃げされちゃったよ」

　　　　　学校から帰宅した名雪がリビングに置かれていた競馬新聞を熟読して、最初に呟いた言葉がそれだった。

　　　　　気を取り直して、来年の天皇賞・春でアイシクルランスがリベンジを果たしてくれる事を期待していたのだが、あっさりと四散してしまう。

　　　　　名雪は競馬新聞に力を込めてグチャグチャになるのを構わず、握っていた箇所がボロボロになっていく。

　　　　　ワナワナと新聞を持つ手が震えており、破り捨てようとするのを理性が留めている状況だろう。

　　　　「……来年にはリベンジ出来ると思っていたのに」

　　　　　名雪はぐちゃぐちゃになった競馬新聞をテーブルに戻して、本日何度目か分からない大きな溜息を吐いてしまった。

　　　　　ダンスインザダークが引退しても日々の牧場業務は行わなければならず、何処の牧場も今は関係ない事なのだから。

　　　　　来春には種牡馬としての養繋されるのが確定しているので、繁殖牝馬に種付けさせるか選定している所もあるだろう。

　　　　　血統的には半兄にエアダブリンがおり、全姉にはダンスパートナーと超良血に分類される。

　　　　　母系はニジンスキーの血を引いており、日本ではニジンスキー産駒のマルゼンスキーが成功しているので不安点は少ない。

　　　　　ただ、菊花賞の結果を見る限り、現在のスピード競馬には対応しにくい長距離向きの馬とも言える。

　　　　　その点からすると、やや嫌われやすい要素を抱え込んでおり、どれだけ繁殖牝馬が集められるかが課題だろう。

　　　　　シンジケートとして既に加入者が多く居るようで、あの菊花賞の末脚が余程印象に残っているようだ。

　　　　　とは言え、一口辺りの価格が高額なので秋子からしてみれば、手を出しにくい存在とも言える。

　　　　　と、ダンスインザダークの種牡馬養繋所からのカタログが届いており、それを眺めていた。

　　　　「うちでは購入をする必要はなさそうね」
　　　　「ミストケープの配合相手には向いていそうだけど、わたしは種牡馬として魅力は感じないなぁ」
　　　　「一応、１８００ｍのきさらぎ賞で結果を出しているし、一介のステイヤーとは思えないがな」

　　　　　秋名の評価だけは秋子と名雪とは違い、それなりに評価しているのが伺える。

　　　　　実際に１６００ｍの新馬戦を勝利しているので、スピードも有しているタイプなのだろう。

　　　　「とは言え、初年度の種付け料が５００万では私の評価は下げえざるを得ないな」

　　　　　勇気ある決断なのか無謀なのかは現状では判別しにくいが、現時点では高額と言わざるを得ない。

　　　　　主な勝ち鞍が菊花賞と神戸新聞杯、弥生賞の３つでは思い切った決断とも言える。

　　　　　せめて、ダービーを制していればもう少し評価は変わっていたかもしれないのだから。

　　　　　今週はヤマトノミオの引退レースと決定したＪＢＣＳが開催される。

　　　　　去年は２番人気で２着に入った実績を持つが、今年は去年よりも苦戦する可能性が高い。

　　　　　直前にステップレースを使っておらず、約５ヶ月振りの出走で休養明けとしては厳しい。

　　　　　２つ目は今年の成績が北海道スプリントＣしか制していない事が人気を落としている要因になっている。

　　　　　既に６歳――旧年齢で７歳と年齢の衰えが出てきた感もあるので、大きな期待はし難い状況を生み出している。

　　　　「これで引退かぁ……当初の予想より結構走ってくれたね」
　　　　「そうね。デビュー後の惨敗から重賞を２勝してくれるとは思っていなかったわ」
　　　　「まあ、最後の最後でＧⅠ制覇するかもしれないから期待して見た方が良いと思うが？」

　　　　　と、秋名がそんな事をのたまうと、秋子と名雪は軽く頬を人差し指で掻いてから川崎競馬場を映しているＴＶを見始めた。

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　　　　　この話で出た簡潔競馬用語

　　　　　特になし。