東京芝2000mで行われる天皇賞・秋ではありえない事実が起こった。
凱旋門賞の後に行われる3週間の着地検疫があったとは言え、負けるとは思われなかった。
それも17頭中13番人気のギャロップダイナに後ろから差されて、負けたのは初めてなのだから。
しかもダート馬だと思われており、芝でもある程度の成績を出しているが、勝ったのは新馬戦の時だけ。
更に面白い逸話があり、4走前――札幌日経賞ではスタート直後に騎手が落馬しての1着とレコード付きのオマケ。
勿論、この結果は落馬により失格。
この馬――ギャロップダイナが天皇賞を勝てるとは思わなかった秋子は実況の“あっと驚くギャロップ”に反応してしまった。
「ほんとーうっっに、あっと驚かせてくれるな」
ビリビリ、と馬券を破り捨てながら秋名は口を尖らせている。
よっぽど馬券を外した事が悔しいのか沸騰寸前のヤカンのようになっている。
「何から買ったのですか?」
ルドルフと二ホンピロウイナーからと言い、馬単だからワイドは買っていないと秋名は項垂れながらぼやく。
ルドルフと二ホンピロウイナーは2着と3着であり、3着は同着でウインザーノット来ている。
珍しく万馬券狙いではないのを不思議がる秋子だが、堅いレースだと思ったからだ、と秋名は弁解する。
「やっぱり、ローテーションが問題だったのか?」
凱旋門賞後は殆ど軽めの運動しかしていないと思われ、併せ馬とかではなく曳き運動だけだと思われる。
流石の皇帝シンボリルドルフでもフランス帰りから調教無しで天皇賞・秋は厳しかったようだ。
それとも天皇賞・秋のジンクス――1番人気の馬は勝てないと言うジンクスが府中の魔物を呼び起こしたのかも知れない。
けれどオーナーは次のレースはジャパンカップに出走させると宣言しており、去年負けたことがよっぽど悔しいのだろう。
疲労が残りそうだが、名誉と金の方を選んだと秋子は思ったが、口には出さない。
Ifになるのだが、秋子が所持していたら同じように挑戦をさせる可能性は0%という訳ではない。
秋子だって欲が出る事は無い訳では無いのだから。
さて、と言いながら秋名はTVを消して、スポーツ新聞を見直す。
口に煙草を咥えたまま見ているので、場末のギャンブラーに見えるのは仕方が無く、英字新聞だったらビジネスマンに見えるだろう。
秋名は競馬一覧を開いて、トントンと指を指す。
小さくだが、ジェットボーイの事が書かれていたので、秋子は奪うようにひったくり、ジッと読み出す。
――今日は勝った馬に強かったから負けたけど、叩いた次走なら今日より良い勝負になると思います。
と、久瀬調教師のコメントが書かれており、次走の楽しみが増えたと言うまででもない。
やれやれ、と秋名は肩を竦めつつ、惜しかったなと声を掛ける。
「そうですね……逃げたので標的にされた事があるので仕方ないです」
「次走は抑えてみるのか?」
うーん、と秋子は顎に手を添えつつ少しだけ目をつぶって考える。
逃げたのは意外だったが、内枠で押し出されるようにスタートを切れば、こうなる確率は高かったは確か。
もう一回だけ試してみましょう、と結論を出して秋名にも確認を取り、決定となる。
さすが、自分の馬が出るレースの度に競馬場は行く事は不可能だから、先に指示はしておく必要があった。
それは次走出走が決まった時に言えば良いので、後回しにする。
祐一と名雪は繁殖牝馬と仔馬に飼い葉を与えるために準備をしている。
飼い葉桶を吊るして、後は水桶だけだが重いので2人で協力して運ぶ。
チャプチャプ、と水が少しずつ零れながら運ばれていく。
よいしょ、と2人で持ち上げてこれで1つの水桶が掛け終わり、残り2つに水を入れなくて運ぶ。
「これが一番大変なんだよな」
「そうだよねー」
祐一は深く溜息を吐きながら桶を運んで、名雪も同意して運んでいる。
2人は体中に汗を流しており、Yシャツがぴったりと身体に張り付いており、キチンと作業をこなしている事が分かる。
なので名雪はパタパタと左手で胸元を扇ぎつつ右手で汗を拭いでおり、祐一は名雪を直視出来ない状態に陥る。
「んー? 何処を見ているのかな? 祐一」
さすがに同じ年齢の子供同士とは言え、名雪は見られる事は恥ずかしい様だ。
「……別に」
強がって言うが、祐一はそっぽ向いて顔を赤くしているのでバレバレだった。
ふーん、と小馬鹿にするように呟いて、名雪は軽蔑するように目を細めて祐一をジッと見続けた。
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この話で出た簡潔競馬用語
注1:ギャロップダイナ……シンボリルドルフを差しきった唯一の馬であり、父ノーザンテースト。
注2:ウインザーノット……この年の函館記念馬であり、母サンサンは凱旋門賞馬である。