駆ける馬　３５３話

　　　　　Kanonファームに１頭の白毛牝馬――ホワイトウインドが戻ってきて、放牧地はまるで別馬が紛れ込んだ様に風景がガラリと変わった。

　　　　　白毛と言う他に類を見ない毛色の為、非常に繁殖牝馬の中では目立つ存在になり、他の牝馬よりも外見で存在が分かるのだから。

　　　　　そして、繁殖入りを果たしたホワイトウインドを一目見ようと、隣の牧場のオ―ナーである宮藤綾乃が駆けつけて来た。

　　　　　何処で聞きつけたかは不明だが競馬関係の繋がりは非常に広い様に見えて、実は狭すぎるので何処かしら情報は洩れるのである。

　　　　「来るのが早いですね」
　　　　「当たり前ですわ。わたくし位の立場になら直ぐに情報元に向かうのは必然なのですから」
　　　　「……まぁ、良いですけどホワイトウインドを見に来ただけでは無い様ですが？」
　　　　「ええ、そろそろわたくしの牧場も生産を始める時期が来たと思うので、そちらの繁殖牝馬を何頭か譲って頂きたいのですわ」

　　　　　元から宮藤が購入した牧場は前社長が利用していた馬房や放牧地がそのまま残っていたので、新たな牧草が完全に根付くまでリフォームされていた。

　　　　　なので、現在は繁殖牝馬は１頭も居らず、広々とした放牧地の牧草が空しく風に吹かれているだけであった。

　　　　　そのため、宮藤が１番懇談している秋子から繁殖牝馬を買う事を決断した様で宮藤の傍にはアルミ合金のトランクが１つ置かれている。

　　　　「随分と景気が良いようですね」
　　　　「元から資産は沢山ありますのよ。だからと言って高額馬を買うのは馬鹿馬鹿ですわ」

　　　　　宮藤は基本的に安馬――マイナー血統の馬を好む為、艶のある黒髪を自慢げに払い上げながらそんな事を口にする。

　　　　　秋子はそんな宮藤を眺めつつ、話を聞いた振りをしながら自ら淹れたコーヒーを口にしていた。

　　　　　無視しているわけではないが、この手の会話――自慢話が好きな者の会話は適度に聞いていないと後がうるさいのだから。

　　　　　秋子はこれ以上、自慢話を聞くのに耐えないと思ったのかコーヒーカップをテーブルの上に戻してから、宮藤に１つの質問をする。

　　　　「それでお目当ての繁殖牝馬は居るのですか？」
　　　　「ええ、出来ればフラワーロックを譲ってもらいたいですけど、貴女が首を縦に振るとは思っていませんわ」
　　　　「残念ながら、フラワーロックに関しては宮藤さんが仰る通り手放すつもりはありませんよ」
　　　　「でしょうね……代わりにエレメントアローとサイレントアサシンなら譲ってくださるかしら？」

　　　　　秋子は２頭譲って欲しいと言われるとは思っていなかった様で、軽く目を瞑ってエレメントアローの事を考える。

　　　　　既にレッドミラージュが２勝して現在は１０００万下に在籍中だが、今後はどれだけやれるかが不明瞭。

　　　　　エレメントアローの産駒には牝馬が２頭輩出されているので、後継としては十分とも言える。

　　　　　エレメントアローの母エターナルの産駒はＧⅠ勝ちのあるミストケープが代表牝馬として君臨しているので、エレメントアローの売却は痛手ではない。

　　　　　そして、秋子が出した結論は

　　　　「……良いでしょう。２頭売却で手を打ちます」
　　　　「商談成立ですわね」

　　　　　こうしてエレメントアローとサイレントアサシンの商談が成立し、秋子は２頭分の血統証明書をサイドボードから取り出して、宮藤に手渡す。

　　　　　手渡された宮藤は相違が無いかキチンと確認しており、売却契約としてはこれが当たり前なのだから。

　　　　「確かに確認しましたわ……では、売却値段はお幾らで？」
　　　　「そうですね……２頭合わせて６５０万でどうでしょうか」

　　　　　庭先取引の値段は基本的に安く、秋子が出した案は非常に適切な価格で宮藤もその案に頷いて、トランクから６つの札束と５０万を秋子に支払う。

　　　　　秋子もキチンと対価が支払われた事を確認するために、１つ１つ丁寧に札束を数えていく。

　　　　　相手を信頼しているからこそ、この方法が成り立つのであって信用していないと取引は破談してしまう。

　　　　「確かに６５０万を受け取りました」
　　　　「こちらも血統証明書を確認させてもらいましたわ」

　　　　　こうして取引が終わるとお互いに笑みを浮かべ、差し出された手を握り合って握手をする。

　　　　　その後はお互いに談話を講じて、最近の所有馬に関する話を行う。

　　　　「ルビーレイのデビュー時期はもうそろそろですね」
　　　　「出来れば来年のオークスを狙いたいのですのよ……血統的には２４００ｍはやれると思っていますわ」

　　　　　秋子は肯定も否定もせずに宮藤の妄想を曖昧に頷いているが、実際に父のドクターデヴィアスはイギリスダービーを制している実績が。

　　　　　そのため、宮藤が自信満々の表情でオークスを目標にするのはあながち間違っていない。

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　　　　　この話で出た簡潔競馬用語

　　　　　特になし。