Kanonファームの繁殖牝馬放牧地には今年誕生した仔馬が母馬に寄り添って、無垢な瞳で周辺の牧場風景を見回している。
放牧地にいる仔馬は6頭で、どの馬も順調に産まれて母馬の母乳を一所懸命に口付けている。
だが、本来産まれる予定だった1頭の仔馬――ルリイロノホウセキの96は逆子だったため、母体に影響を与えてしまうのを避ける為に薬殺処分された。
その仔馬は父ウイニングチケットと同じ毛色――黒鹿毛で日を見る事も無く、どの馬よりも早く早く空を駆けていった。
そのため、本来はルリイロノホウセキの元に仔馬が擦り寄っている光景が見られた筈だったのだが、寂しげな雰囲気が漂っている。
時折、ルリイロノホウセキの寂しげな嘶き声がいなくなった仔馬に向かって、空に放たれる。
それはいなくなった仔馬への鎮魂歌としてルリイロノホウセキの悲しみが、Kanonファーム全体に響き渡った。
「……仔馬が亡くなったのは久しぶりの出来事だなぁ」
「クイーンキラの仔馬が亡くなった以来だから、まだあれから4年しか経っていないのね……」
「……久しぶりに仔馬が亡くなったんだ。次に同じ事が起きない様に心の中に留めておかないとな」
馬頭観音と彫られた石碑の前でお祈りを行いながら、3人は決して忘れない様に心の中に刻むだろう。
ルリイロノホウセキの96と言う黒鹿毛の牡馬が居たと言う事を。
そんな訳で秋子達3人はリビングで向かい合うような格好でソファーに身を沈めており、その表情は深く意気消沈してしまっている。
3人は一様に溜息を吐いて俯いたままお互いの顔を見る事も無く、ソファーから動かない状態。
1頭の仔馬が亡くなったのが多大な影響を与えているのが明らかに分かる程で、これでは牧場全体に悪影響が及ばしてもおかしくない。
「……さて、原因は何でしょうかね?」
最初に口を開いたのはKanonファームの社長である秋子だが、その顔は覇気が無く、いつものきめ細かい白い肌が青白く見えてしまうほど。
「逆子で産まれたと言う事は、運動不足だったと言う事もあり得るな」
「……1日に放牧していた時間は多かったけどなぁ」
名雪は指を曲げながら繁殖牝馬の放牧時間を数えており、約7時間はしていた事を示す結果になった。
1日に7時間も放牧していれば、他の繁殖牝馬と遜色の無い放牧時間になるので、これは当て嵌まらない。
そうなると小さな変化を見逃した事になるので、管理の不備があった事になってしまう。
だが、それを否定する訳にもいかず、今後の為にはしっかりと原因を探らなければならないのだから。
「と言うことは、何かしらの異変を見逃したとなりますね」
「……そうなるな」
「……もっと、仕草とかをキチンと観察していれば良かったかな」
名雪は大きく溜息を吐いてから、被りに頭を振って項垂れてしまった。
自分だけの責任ではないので否定的な発言は発せられないが、意気消沈した声がより鮮明に響く。
「……来年は同じ事が起こらないようにしないとね」
「そうね……そうしないと何度も同じ事を繰り返す羽目になりそうだから、しっかりと対策を練るように」
「ああ、対策は練れるだけ練らないとな」
コクリ、と3人は先程の意気消沈した表情とは違い、しっかりと前を見据えた表情で力強く頷いた。
仔馬が亡くなった話題はもう誰も口にしていないが、その表情はしっかりと反省した顔。
秋子はリビングに蔓延した嫌な空気を払うために、そそくさと台所に足を踏み入れて3人分のコーヒーを淹れる準備を。
そして、リビングでソファーに居座ったまま会話を続けているのは秋名と名雪。
その内容は分かる人にしか分からない様な競馬用語で占められており、抽象的に抜き出すと、ノーザンダンサーの3×4などetc。
「ルリイロノホウセキの相手はマルゼンスキーか」
「うん。ノーザンダンサーの3×4になるけど、スピードを引き出してくれる事を期待した所だね」
実際はステイヤーの輩出が多いマルゼンスキーだが、名雪は圧倒的な大差を付けて勝利したスピードに期待しているようだ。
そんな会話をしているとコーヒーを淹れ終わった秋子が、トレーにコーヒーカップと、並々と注がれたドリッパーに砂糖とミルク。
そして、3人はホゥと一息を吐き、重々しかった空気からゆるりとした雰囲気に変化した中でコーヒータイムを楽しんだ。
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この話で出た簡潔競馬用語
特になし。