カリカリとボールペンを走らせて、メモ帳に流暢な文字が一句一句書き上げられていく音が響いている。
これは名雪が今年の種付けを考えている状況でメモを取る手を動かしつつ、もう一方は器用に種牡馬辞典のページを捲っていた。
基本的に名雪が目に付けているのは新種牡馬で、膨大な資料の中では1番ページ数が少ないから、それなりの手間で済んでいる。
それでも疲れが出てくるのか名雪は軽く目頭を押さえつつ、時々休憩を挟んでメモに記入していく。
「うーん、やっぱり1頭くらいはノーザンダンサーのクロスが出来ちゃうな。3×4だから問題は無いけど、あまり頼りにしたくないな」
とは言え、メリットもデメリットもあるインブリードは頼る必要が出てくる時もあり、必要悪として有効に利用するしかない。
どうするかな、と言いたげに名雪は顎に手を添えつつ、種牡馬辞典を再び読み開く。
アウトブリードとなる種牡馬は多数居るのだが、どうも名雪の目に適う馬が居ないようで溜息を吐いてしまう。
「一応、ノーザンダンサーのクロスがあるのは覚悟しておこう」
名雪は納得した表情を浮かべているもの、メモにはキチンと“ノーザンダンサーの3×4あり”と記入。
他の繁殖牝馬の相手も一応、グレイソブリンの7×6と非常に薄いクロスの案があるのだが、こちらはそれ程心配する事は無い。
料理で言う隠し味のスパイスくらいの薄さなので、さほど影響は少なくデメリットは消滅してしまうだろう。
「こっちはこれで良いかな」
グレイソブリンのクロスがあるとは言え影響力は少ないと判断出来るので、名雪は満足そうな表情を浮かべて頷く。
その配合が決定した繁殖牝馬の欄を大きな丸で囲んで、名雪は再び他の繁殖牝馬の相手は良いのかを思案しだす。
その顔は熱心に取り組んだ横顔で、キリッとした表情は男女共に惹きつける魅力さを持ち合わせているだろう。
この場に普段の名雪を知らない人物が居たら、注視してしまう程の魅力がある横顔であった。
再び膨大なページ数を誇る種牡馬辞典を開き、産駒がデビュー済みの種牡馬一覧を読み始める。
名雪が主に着目するのは産駒の重賞成績や、コツコツとコンスタントに入着を繰り返して賞金を稼いでくれる種牡馬。
どのような産駒を輩出するか不明な新種牡馬はともかく、産駒がデビュー済みの種牡馬なら産駒の当たり外れが予想しやすいのだから。
さて、今月はフェブラリーSが中央競馬で96年度最初のGⅠが開催される時期。
Kanonファームからはヤマトノミオが出走を表明しているが、出走可能になるかが微妙になってきた。
そのため3月の高知競馬場で開催される黒船賞に出走するプランも案の1つとして出てきた。
こちらも距離適正外の1400mだが、フェブラリーSに比べると200m短いので出走しやすい。
ヤマトノミオにとっては距離は出来るだけ短い方が連対しやすいので、黒船賞に向かう算段がフェブラリーSよりも高くなってくる。
「どっちに向かいましょうか?」
「どっちも距離適正外だからな……僅かでも短い黒船賞の方が有利かもしれんな」
「フェブラリーSだと1600mに加えて、直線の坂が1番のネックだと思うよ。ガーネットSは距離が合っていたから坂はこなせたと思うし」
と、それぞれが意見を口にしてヤマトノミオのローテーションを考える。
上半期の最大目標は門別で開催される北海道スプリントC――1000mを狙う事になっているので、逆算して考えなければならない。
得意距離――1200m戦の重賞は殆ど無い状況だからこそ、距離適正外のレースをこなして体調を仕上げていく必要が。
「黒船賞、かきつばた賞、北海道スプリントCのローテーションならどうかな?」
「それなら、負担が少ないローテーションで北海道スプリントCに挑めるわね……輸送面が少々厳しいくらいかしら?」
「輸送面は問題無いと思うけどな。かきつばた賞から北海道スプリントCに向かう時が1番厳しいと思うぞ」
秋名が指摘した点を除けば理想的なローテーションになるので、この案が最も現実的。
これ以外のローテーションはあるのだが、重い斤量を背負ってOP特別に出走する事になり、疲労が溜まりやすくなってしまう点が。
なので、最も負担が少ないローテーションとして名雪の案が採用され、ヤマトノミオはフェブラリーSではなく黒船賞の出走と決定。
この事は直ぐに秋子が調教師にローテーションの変更を願い出たのだが、調教師はGⅠ出走が叶わない事を非常に残念そうに電話越しで話していた。
しかし、調教師もフェブラリーSでは無理があると判断したのか、あっさりと秋子の願いは受け入れられてローテーションの変更となった。
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この話で出た簡潔競馬用語
特になし。