8月の中旬になり放牧に出されていた馬は、厩舎に帰厩するために徐々に調教ピッチを挙げていき、9月にはしっかりと復帰出来る様に仕上げる。

     特にストームブレイカーとヤマトノミオは重賞戦から復帰するので、調教は滞りなく行われている状況。

     ストームブレイカーは去年と同じく京成杯オータムハンデから始動し、スプリンターズSとマイルチャンピオンシップが最大の目標。

     去年は共に4着だったが、そろそろ善戦に終止符を打ちたい所であるが既に6歳で27戦も走っているのだから衰えが近づいてもおかしくない。

     今年一杯で引退の予定なので有終の美を飾りたいのは関係者の思惑で一致しており、調教師も気合が入っているだろう。

     そして、ヤマトノミオも今年一杯で引退の予定となっているが、秋の結果次第では引退時期を延ばす可能性がある。

     そのヤマトノミオの出走予定は地方――大井競馬場で開催される東京盃からジャパンブリーダーズカップスプリントを目指す。

     共に得意のダート1200m戦なので、ヤマトノミオにとっては勝算が高いレースになるだろう。

 

    「体勢は整ってきたみたいですし、来週には戻せそうですね」
    「9月の本州は残暑で厳しいからな。早めに戻して気温に慣らした方が後に響かないと思うしな」

 

     秋子は育成牧場に預けて、調整中のストームブレイカーとヤマトノミオの近況が書かれたメモ用紙をひらひらと指の間に挟んで、弄んでから秋名に手渡す。

     細かく調教内容が書かれているそれはタイムや調教数が書かれており、本日は坂路でラスト1ハロンが13.1秒と徐々にペースが上がっているのを示す。

     秋名はチラリと一瞥してから秋子にメモ用紙を返却しつつ、調教内容を納得したようで頷いている。

 

    「結構、良い動きになっているな。私の考えだと仕上げ過ぎな気もするけどな」
    「そうでしょうか? 直前はラスト1ハロンで12秒出せれば十分でしょうし、仕上がりに関してはもう60%くらいでしょうね」

 

     秋子の言い分を否定する事は無かったが、秋名の表情は渋々といった感じの表情で眉間に小さく皺が寄っていた。

 

     

 

     秋子と秋名が他愛の無い話をしていると、軽やかな音――チャイム音が鳴り、来訪者の存在を告げる。

     そこには秋子にライバル宣言をした女性――宮藤 綾乃が穏やかな笑みを浮かべたまま佇んでいた。

 

    「お久しぶりですわね。水瀬さん」
    「あら、お久しぶりです宮藤さん。今日はどのような用事ですか?」

 

     お互いに笑みを浮かべたまま挨拶をしているが、ピリピリした空気が一触即発な雰囲気を醸し出している。

     とは言え、両者とも嫌っている訳ではなくライバル宣言をした方とされた方なので、実力を見せたい宮藤と王者として構えている秋子と言う単純な関係。

     秋子の方はどこともなく余裕を持った出で立ちだが、新参者となる宮藤の事は歓迎しており、秋子も含めて数少ない女性牧場オーナーの存在は励みになる。

 

    「今日はわたくしが購入した馬がデビュー致すのですが、新聞を見ると水瀬さんの馬も同じ日に出走するみたいですから、一緒に見ようかと思った訳ですわ」
    「……ああ、そういう事ですか。一緒に見る事が目的なら良いですよ」

 

     秋子がそう言うと、宮藤は令嬢らしからぬ態度で肩付近まで伸びている黒髪を軽く払いつつ柔和の表情を浮かべながら、家に上がり込んだ。

 

 

     そんな訳で本日の競馬は新潟芝1600m戦にレッドミラージュと宮藤がKanonファームで購入したフラワーロック産駒――ルビーロウが出走する。

     人気面はレッドミラージュの方が上だが、ルビーロウは新規参入の馬主と言う事で低人気に支持されている。

     レッドミラージュは6番人気、ルビーロウは8番人気とお互いに上位人気から離れた人気。

     どちらが走るかは分からないが、少なくともKanonファームで生産された馬なので、どっちが勝っても秋子としては構わないのだから。

 

    「人気面は負けていますが、レース結果は別ですわよ?」
    「ええ、ならレッドミラージュに勝利して尚且つ1着にならないと駄目ですね」
<

 

     ふふっ、と笑みを浮かべながら秋子は嫌味が無いように、ごく自然に相手を煽るが秋子も譲る気配はまったく無い。

     そして、レースが始まる。

     レッドミラージュは8枠11番からのスタートで、ルビーロウは3枠3番と枠の差で結果が深く及ぼしそうだが、始まってしまえば関係ない。

     まずレッドミラージュは絶好のスタートを切ったが、外枠からのスタートなので、内枠の方に寄れず馬場の中心程の場所で距離ロスを軽減する。

     ルビーロウの方も悪くないスタートで、内枠の利を生かして2番手からレースを押し進めるようだ。

 

    「このまま先行から勝利して欲しいですわ」
    「このままだとペースは早そうですし、そうなると控えたレッドミラージュの方にチャンスがありますね」

 

     馬ではなく馬主である2人が牽制し合っているのは滑稽なものだが、どこの馬主もこういうやり取りを心底楽しんでいる節がある。

     その間にレースは終盤になり、徐々にレッドミラージュの位置取りが上がって現在は5番手に。

     ルビーロウはまだ2番手でキッチリとキープして、先頭の馬を交わす時を窺っているようで、騎手の手は動いていない。

     ここで直線に入ると、レッドミラージュの騎手は鞭で扱くよりも手綱を使用して押しているが、伸びないどころか止まってしまう。

     逆にルビーロウの方が余裕たっぷりの走りで2番手から一気に脚を伸ばし、先頭を走っている逃げ馬を追い詰めて、あっさりと交わしてしまう。

     だが、最後の最後でルビーロウをマークしていた馬に交わされてしまい、結果は2着に粘ったが、あと少しの所で勝利を逃してしまった。

 

 

     戻る      

 

     この話で出た簡潔競馬用語

 

     特になし。