秋子はイギリスから帰国すると、空港内にある公衆電話を探して秋名に電話を掛ける。

     100円度数のテレホンカードを差し込んで、牧場の電話番号を押していく。

     数秒間、コール音が鳴った後、受話器を取った音が聞こえて、もしもしと言う。

 

    「あっ、お母さん?」

 

     電話に出たのは名雪だったので、少し会話をする。

     姉さんに代わってくれない? と秋子が言うと今は寝ているよ、と名雪が丁寧な返答をする。

     よく考えると、秋名は秋子が居ない間は一人で牧場の経営をしているので、疲れも溜まっているのは必然だった。

     仕方が無いので帰ってから言うから寝かせておいて、と名雪に言ってから電話を切る。

     テレホンカードの残数は全然減っていないので、ついでに秋子は隆道に貰ったメモに書かれている電話番号に掛けてみる。

     電話番号を良く見ると美浦トレーニングセンター、つまり関東なのだと分かる。

     眺めている訳も行かないので、早速電話を掛ける。

 

 

     Purrrr……とコール音は鳴り続けるが、誰も出そうな雰囲気が無い。

     今日は火曜日だし、トレセンの全休日では無いし時間も午後と調教は終わってる時間である。

 

    「おかしいですね」

 

     首を傾げつつ、一度受話器をガチャンと置いてから、もう一度掛けてみると今度は数秒後には向こうの人物が出た。

 

    「もしもし、久瀬英一さんでしょうか?」

 

     はい、そうです、とキッチリとした声が秋子の耳にも聞こえてきた。

     秋子が自分の名前を言おうとする前に、久瀬の方が先に秋子の名前を聞いてきたので、秋子はそうですと答える。

     どうやら、先ほど電話が通じなかったのは、隆道と話をしていたのでタイミングが悪かったようだ。

 

    「預けるのは……6月か7月頃の方が良いですか?」

 

     今は輸入検疫が6日掛けてじっくりと行われた後に、着地検疫が3週間も掛けて行われる。

     なので、秋子としては7月頃まで育成牧場まで預けてから、久瀬厩舎に入厩させたいと考えている。

     が、久瀬調教師は9月頃の方が良いと言うので、秋子は理由を聞いてみる。理由はこうだった。

     輸入検疫を行って着地検疫すると、トモの張りが悪くなって見た目が最悪。

     そして、馬が日本の環境に慣れないと、体調を崩す事がグッと多くなるからだ。

     環境に慣れるのに一週間ほど必要なので、その間は引き運動しか出来ない。

     しかも、7月入厩だとしたら使う場所にもよるが一番暑くなる時期の調教をする事になるので2歳馬には過酷。

     なので、久瀬調教師は9月頃が一番良いかと、と提案するので秋子も暫く考えてから、あっさりと了承する。

 

    「そうですね……ではその頃に入厩させます」

 

     最後にこれからも宜しくお願いしますと、言ってから秋子は電話を切った。

     ふぅ、と預かってもらえる安堵の溜息を吐きながら、喜色満面の表情で新千歳行きの飛行機搭乗口に向かって歩き出した。

 

 

     牧場に帰ってくると、4日居なかっただけだが家に帰ってきたと気持ちになる。

     風景はまったく変わりなく、いつもと同じなのでホッとする。

     子馬1頭だけが母馬から離れないでくっ付いている草を食んでいる。

     まだ、もう1頭の子馬は生まれておらず、ホッとしたがさすがに出産が遅すぎると逆に心配になる。

 

    「おっ、帰ったか秋子」
    「ただいま。姉さん」

 

     今、起きたらしく秋名の髪が寝癖によって、ちょこちょこ変な方向にはねている。

     そして欠伸をしながら、2歳馬を買えたのか? と質問する秋名。

     ええ、と秋子が頷くと、秋名の手は前に出されて血統表を見せろと請求をする。

     秋子は鞄を漁って血統表を取り出すと、秋名はパシッと掴み取って眺めるが英語が読めなかったようだ。

 

    「えっと、父シャーペンアップ、母父リファールです」

 

     値段を聞かれて、約460万ですと秋子は答えるが、秋名は不満そうだ。

 

    「もっと高いのを買えば良いじゃないか」
    「そしたら、姉さんは億クラスまで欲しがりますよ」

 

     それを突っ込まれた秋名はうっ、と黙ってしまう。

     まぁ冗談だが、と秋名は言うが、秋子は疑わしい者を見たように目を細めてジッ、と秋名を射付く。

 

    「あっ、お帰りお母さん」
    「ただいま、名雪」

 

     名雪はトテトテ、と走りながら秋子の足元に抱きついてくる。
     秋子はワシャワシャと名雪の頭を強く撫でるので、名雪はくすぐったそうに身を捩っている。
     そして、名雪を抱き上げて歩き出すが、祐一が居ない事が今頃に気付く。

 

    「祐一君は……乗馬クラブですね」
    「そろそろ終わる頃だから、ちょっと迎えに行ってくる」

 

     手をひらひらと振りながら、歩くが思い出したように秋子の方を振り向いて休んでおけよ、と言葉を残す。

     行ってらっしゃい、と秋子は言うが名雪も一緒に言って、ハもった声が帰って来たんだという事を秋子を実感させた。

     イギリスの調教所を見ても、自分の牧場の方が自身に馴染んでいるのでこの見慣れた景色をじっくり見回した。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     特になし。