今日、行われるセリ――タタソールズ・ブリーズアップは盛況であった。

     世界各国から購入者がやって来ているのが伺える。

     とは言え、良血の1歳馬セールではなく、デビュー前の2歳馬セールなので大物馬主の数は少ないと言えるだろう。

     それでも、アラブ系の馬主がカンドーラと呼ばれる白いワンピース状の服装とゴトラと呼ばれる赤い布を頭に被って馬を見定めている。

     秋子が狙っている馬はスタート値2万ギニーと日本円で約460万のお手頃の馬なので、誰もが見向きをしない。

     前日に秋子が何かを感じ取った馬は、欧州サッカーチームのオーナーが誰とも競り合わないで購入している。

     何となく、走りそうな雰囲気はあるのだがステイヤー寄りの馬体なのが、秋子が敬遠した理由。

     もし、競り合ったとしても資金面では圧倒的に劣るので、買える可能性は0に近い確率だろう。

     暫くセリの様子を見ているとようやく、秋子の狙う馬が中央のサークル状の場所に人に引かれながら現れる。

     サークルの奥には値段が表示されている画面と、進行役の2人が1m程ある台に乗って英語で話している。

     そこで、秋子は隣で馬を眺めている隆道に頼んで競り落としてもらう。

 

 

     結局、誰も競らないでスタート値のまま、この馬は秋子の手に渡った。

     約460万とサラブレットの中では安い分類であるが、走らせないと当たりか外れかは分からない。

     因みに血統は父シャーペンアップ、母父リファールとなっている。

     この馬の母馬は未出走であり、近親にも近年活躍馬が1頭も出ていないのがこの値段の原因。

     母はリファールの初年度産駒なので、まだ7歳と若い牝馬であった。

     逆に父のシャーペンアップは16歳と種牡馬としては、まだまだ活躍馬を出せる年齢である。

     シャーペンアップは1982年に英愛2歳リーディングサイアーに輝いているのに、この値段なので秋子にとって儲け物である。

     だが、秋子にとってはこの馬が中央競馬の第一歩を踏み出す馬となるので当りか外れかはどうでも良かった。

 

    「隆道さん、ありがとうございます」

 

     ペコリと頭を下げる秋子。

     いえいえ、と言う隆道だが穏やかな表情であった。

 

    「むしろ、これからの方が大変ですよ」

 

     そうですね、と少し言葉を潜めながら呟く秋子であったが、実感はしている。

     これからは中央と地方の両立で馬を生産しなければならないので、苦労は数倍になるのは確実である。

     それに、地方に比べると中央の厩舎に馬を預ける預託料は数倍近く違うので資金面も大変になるのであった。

     そして、今回購入した牡馬は育成牧場に預ける予定もあるので、さらに月額に使うお金が増えるので秋子には頭が痛い問題。

 

    「本当に……これからが大変ですよ」

 

     本当に、を強く強調しつつ秋子は深い溜息を吐かえざるなかった。

 

    「それはそうと、中央にはお知り合いの調教師がいるので?」

 

     あっ、とこの事を思い出してから失念して頭を掻く秋子だった。

     あははっ、と秋子は力なく笑うしかなかった。

     まるっきり、そっちの方の存在を忘れていたのだから笑うしかない。

 

    「なら、新人ですけど紹介しましょうか?」

 

     そこまでして貰う訳にはいかないと、秋子は断ろうとするがそれを遮って隆道はサラサラ、とメモに書いている。

     相手の名前と電話番号が書かれたメモは、丁寧な文字で達筆なのが滲み出ている。

 

    「久瀬……英一さんですか?」

 

     苗字と名前を読み上げると隆道は頷いて、どのような人物か説明しだす。

     要約すると頑固で頭が固い人物でありながら、論理的な部分も持ち合わせているらしい。

     隆道の親友らしいので、お互いに馬を頼んだりしているのだろうと、秋子は推測する。

 

    「まぁ、頭は固いけど人柄は保障しますよ」

 

     ありがとうございます、と頭を下げてお礼を言う秋子。

     丁度、最後の馬が売れたらしく、今日のセリは終わったのを確認して二人は会場から出て行く。

 

 

     残り2日もセリを覗く時があったのだが、牧場にいる2頭の牝馬のうち1頭がそろそろ出産する頃なので秋子は帰国を決めた。

     既に子馬は輸送されて、日本に着く頃なので気になるのも当然ある。

 

    「もう、帰るのですか?」

    「ええ……そろそろ牝馬が出産する頃なので」

 

     それなら仕方が無いですね、と隆道は頷いて素直に秋子を送り出す。

     ボストンバッグを肩に掛けなおして、秋子は人ごみの中を歩こうとしてからある事を思い出して隆道にお願いをする。

 

    「お願いしても良いですか?」

    「ええ、難しい事でなければ良いですよ」

 

     秋子は気になった牡馬――カンパラの仔はどういうレースをするか見て欲しいと、頼みこむと隆道は気さくに了承をしてくれた。

 

    「そんなに気になるんですか?」

 

     今度は隆道から喋りだすが、秋子は曖昧に頷くくらいあの馬が走るかは分からなかった。

 

    「では、お願いしますね」

    「はい、任せてください。子馬が失敗しないように祈っておきますよ」

 

     秋子はその言葉につられて、クスッと笑っていつもの様に頬を緩ませた。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     注1:タタソールズ・ブリーズアップ……イギリスニューマーケットで行われる2歳馬セール。
     注2:シャーペンアップ……8戦5勝でG�気錬云,世�、産駒は活躍馬が多い。
     注3:リファール……ノーザンダンサーの仔であり、代表産駒にダンシングブレーヴがいる。