夏の終わりが近づき、北海道では短い夏から長い冬の到来に備えるための準備を行い始める。

     時折、冷たい風が吹き荒れ、それに合わせるように草葉が擦れあう音がKanonファームの放牧地で聞こえてくる。

     そして、どこの牧場もこの時期には頭を悩ませる――心を鬼にする日々が続く儀式が。

     儀式の内容は仔別れ――母馬と仔馬を無理矢理引き離す手段であり、9月頃に行わなくては競走馬デビューが遅れる可能性を秘めているのだから。

     Kanonファームで仔別れの犠牲になるのは5頭と、一挙に仕上げなくてはならないのでタイミング良く、母馬と引き離さなければ後腐れが残ってしまう。

     後ろ髪が曳かれる思いで母馬と仔馬を引き離すタイミングは放牧地で、仔馬が自由に駆けている時にサッと母馬を別の放牧地に連れて行く。

 

    「やれやれ、今年も無事に儀式は終わったよ」

 

     名雪は風で乱れる髪を押さえながら、一瞬だけ仔馬のいる放牧地をチラリと      見てから嘆息を吐く。

 

    「この時期だけはいつも辛いのは分かるが、やらないとこっちが食べていけないしな」

 

     仔馬の悲しそうな嘶き声を聞きながら、秋名はシビアにハッキリと言い切って後は流れるままに仔馬が慣れるのが分かっているので、振り返りもしない。

     名雪も嘆息を吐いた後は見慣れたものを、何回も見るつもりは無い様で秋名の言い分に頷きつつ移動する。

     薄情な事ではなく、牧場関係では至極真っ当な行動なので、後は早い内に慣れてもらわないと次のステップに進めないのだから。

 

    「まぁ、今年は5頭もいるから3日から5日あれば十分慣れるだろう」

 

     その頃には自動的に他の仔馬と遊んでいる――放牧地を駆けている時間が増えて基礎運動で体力が増加されていく。

     その後は追い運動で、調教コースの最後方からKanonファームの功労馬であるジェットボーイかアストラルが0歳馬を後ろから追いかける。

     これが出来るのは1歳の春頃なので、まだまだ先の話だが基礎的な放牧地で体力を付けてもらわないと、追い運動で着いて行けない可能性があるのだから。

 

    「この時期だけは苦労と楽しみの連続だからな……去年のこの頃に行った追い運動はどれもまずまずだったし、今年はもうちょっと期待したい所だ」

    「デビューしないとどうなるか分からないけど、少なくても来年デビューの1歳馬は厳しいかもね」

 

     と、2人は肩を竦めつつ現在は育成牧場にいる4頭の1歳馬に想いを馳せる。

 

    「んで、さっき訪問して来た女の人はどの馬を買うのかな?」
    「うちとしては珍しい出来事だし、ちょっと分からないな……新人馬主なのにマイナーな血統を見るのは見所あるだろうな」

 

     秋名の視線は牧場入り口に止まっている訪問者の車であり、スマートな形をした白いスポーツカーが牧場風景には微妙に合っていない格好で停車中。

     2人は車には興味が無さそうで、一応Kanonファームにも北海道での必需品 である車――4WDはあるのだが、愛着度は馬より下に位置しているだろう。

     秋子も移動用として所持しているだけで、高級な車を購入するなら高額な種牡馬の種付け料に回してしまう。

     なので、おそらく祐一も同年代の子供が車を選んでも、確実に馬の方を選択する可能性が高い。

     閑話休題。

     秋子は現在、その相手と雑談を挿みつつ商談を行っている最中なので、秋名と名雪は外に居るわけである。

 

 

     秋子の対面に座っている女性は艶があり、背中の中間ぐらいまで伸ばしている黒髪が映り、穏やかで柔和な表情が特徴的。

     つまり、この女性が秋子の商談相手であり、柔らかい表情を浮かべながらお互いに交渉を行っている。

 

    「フラワーロックの93とサイレントアサシンの94を譲ってくださらない?」
    「よろしいですけど、サイレントアサシンの94はまだ0歳なのでうちで育成って事になりますが」
    「あら、その点は大丈夫ですわ。近くの牧場が売りに出されていたのを購入したので、わたくしの牧場で育成する予定なのだから」
    「……なるほど、最近になって売れたのは、宮藤さんが購入していたんですか」

 

     5月頃に牧場経営を止めた男性の牧場はそのまま丸ごと残っており、ちょっとだけ補強すれば、持て余していた広大な土地も使用されるようになる。

 

    「その通りですわ……簡単に言えば隣人で競馬関係ではライバルの間柄になりますわね」

 

     その女性――宮藤綾乃は長い髪を軽く払いつつ、秋子に挑戦状を叩き付けた。

     実際に秋子が挑戦状を受け取るかは自由だが、敢えて秋子は頬に軽く手を当てつつ笑みを浮かべて、しっかりと受け立つようだ。

 

    「あらあら、これからもよろしくお願いしますね。宮藤さん」
    「ええ、こちらこそお願いしますわ。水瀬さん」

 

     と、言う訳でKanonファームの隣――30分以上離れた場所の牧場には新たな社長――宮藤綾乃が秋子のライバルとなった。

     秋子はフラワーロックの93とサイレントアサシンの94をそれぞれ200万ずつで売却し、ファントムもプレゼントの意味を兼ねて250万で売却した。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     特になし。