駆ける馬　２４８話

　　　　　京都競馬場では１１レース目に行われる天皇賞・春のパドックを見るためにまるで満員電車の様に人口密度が圧伏している。

　　　　　殆どの観客のお目当ては、去年の菊花賞馬でダービー２着などの輝かしい実績を持つビワハヤヒデだろう。

　　　　　先々週に開催された皐月賞では半弟のナリタブライアンが３馬身も２着に突き放して、早くも半兄であるビワハヤヒデのＧⅠ勝利数を超えた。

　　　　　なので、今回の注目点は兄であるビワハヤヒデが威厳を見せるために、如何にして天皇賞・春を勝つが話題になっている。

　　　　　ここでビワハヤヒデが敗北すると、ＧⅠ勝利数で賢弟愚兄と呼ばれてもおかしくない状況だが、馬自身にはその様な声が届いているかは不明。

　　　　　けれど、騎手の方にはキチンとそういう事が伝わっているので、上手く優勝に向かって導く可能性が高い。

　　　　　実際に僅かの差で敗北を繰り返していたのは、騎手自身が何かが足りない原因に近かったかもしれない。

　　　　　そのため前走の京都記念では本来の性能を見せ付けるほどの圧勝――２着との差が７馬身と、一気に今までの評価を覆してしまった。

　　　　　この勝利で現役最強古馬の座は暫定的だが、ビワハヤヒデが押されており、ここ天皇賞・春で勝利すれば、間違いなく現役最強古馬の座が舞い込んでくる。

　　　　　だが、他馬も簡単にその座を明け渡すような事はせずに、その座を狙っているのは明白で主に皐月賞馬のナリタタイシンが筆頭候補。

　　　　　その次にはムッシュシェルクで、ミストケープは４番手辺りだと評価されているのが現状。

　　　　「さぁ、第１０９回天皇賞・春のパドックを見てみましょう」

　　　　　と、アナウンサーが声を発すると、ＴＶのスピーカーから明瞭感が通った女性の声が響く。

　　　　　１枠１番から順次に各馬の前走比の馬体重とゼッケン番号が読み上げられていく。

　　　　　そして、５枠５番の馬の紹介が終わり、ミストケープの番が回ってきた。

　　　　「６枠６番ミストケープ。現在の馬体重は前走比からマイナス４ｋｇとなっています」

　　　　「前走の日経賞から絞っていますが、踏み込みは十分力強く良いので勝ち負けまでなら期待出来そうです」

　　　　　と、実況が詳しい詳細を加えてから次の馬へと紹介が移り変わっていく。

　　　　　秋子はＴＶ画面がミストケープが映らなくなるまでジッと見続けていたが、小さく首を傾げてから嘆息を吐き出す。

　　　　「結構、良さそうで安心しました」
　　　　「さすがに牡馬に匹敵する程の馬体ではないが、十分太刀打ち出来そうな体つきだな」
　　　　「こう見えても、牡馬との混合重賞戦では掲示板を外したのは２回だけですから、元から素質はあったんですね」

　　　　　と、それぞれにパドックを見た感想を述べている間にパドックは圧倒的１番人気のビワハヤヒデを映していた。

　　　　　芦毛の馬体なので、良さがくっきりとは見分けがつき難いのが難点だが、足取りは非常に良い事だけが分かってしまった。

　　　　　本馬場入場も終えて、ゲート係が赤旗を左右に振ると、京都競馬場全体に響くファンファーレ音が天皇賞・春の開始を告げる。

　　　　「最後に８枠１１番のビワハヤヒデが無事にゲートインを……今、スタートが切られました」

　　　　　僅かにミストケープだけが出遅れ、１馬身程の差を付けられて最後方からレースを進める羽目になってしまった。

　　　　　とは言え、今回のレースは長馬場である天皇賞・春なので３２００ｍもある距離の中では十分に挽回可能。

　　　　　１週目の向こう正面から最初の難関である第３コーナーから第４コーナーにかけての下り坂を今、先頭の馬がゆっくりと下り２番手以降も同じく続く。

　　　　　どの馬も外に膨れないようにゆっくりと最短距離である内寄りを走り、距離ロスにならないようにしている。

　　　　　１週目のここでは仕掛ける馬は殆どいないが、スタンド前を通過するので観客から浴びる多数の声で入れ込む馬もいた。

　　　　「圧倒的１番人気に支持されているビワハヤヒデは悠々と先行集団に位置して、２番人気のナリタタイシンは後方から２番手からいつもの脚を見せるのか？」

　　　　　全頭――優駿１２頭の差は先頭から最後方まで凡そ、７馬身と平均ペースで進んでいく。

　　　　　そして、スタート場所だった所を通過し、残り距離も大詰めになってきた。

　　　　　２度目の坂を下るために各馬は３コーナー直前にある上り坂で、先行との差を徐々に詰めていく。

　　　　　そうしないと、下り坂を下った時点での差が縮まらないままゴールに雪崩れ込んでしまう可能性を含んでいるのだから。

　　　　「ここで仕掛けるのは最後方に位置していたミストケープで、徐々に進路を外に持ち出して差を詰めてきました」

　　　　　ストケープは１２番手から８番手に上昇し、一気に中団勢に取り付く。

　　　　　ナリタタイシンは虎視眈々とミストケープが動いても上がらず、最後の最後で本領発揮する豪脚に更なる勢いをつけて、一気に交わす算段だろう。

　　　　「さぁ、栄光のゴール地点は残り４００ｍといったところ。先頭で駆け抜けるのはどの馬だ！！」

　　　　　直線に入った途端に観客の音声が京都競馬場全体を揺るがす程の地響きが包み込んで、レースが急激に動き出す。

　　　　　残り３００ｍ。

　　　　　人気上位のビワハヤヒデ、ナリタタイシン、ムッシュシェルクはまだまだ仕掛けずにグッと我慢させて位置取りを崩さない。

　　　　　この３頭の中で最初に仕掛けたのはナリタタイシン――１２番手から放たれた矢は、急激に加速して先頭集団に近づく。

　　　　　この反応でムッシュシェルクも仕掛けるが、先行に位置していたビワハヤヒデはまだ我慢している。

　　　　　残り２００ｍ。

　　　　　ミストケープは現在６番手辺りだが、ジリジリと逆に差を付けられており伸びあぐねている。

　　　　　残り１００ｍ。

　　　　　ビワハヤヒデの騎手がようやく鞭を入れて、グンと馬体が加速しつつ外から伸びているナリタタイシンに鼻面を合わせ叩き合いの展開に。

　　　　　だが、ナリタタイシンの脚は既に勢いが萎んでしまい、ビワハヤヒデがそのまま１・１/４馬身の差を付けて、現役最強古馬の座を得た。

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　　　　　この話で出た簡潔競馬用語

　　　　　特になし。