季節は春。

     所々に雪解けが残っているが、青々しい牧草が覗かせており、牧場に植えてある木も少しずつ葉を付けていく。

     だが、牧場関係者はこの時期が一番苦労するので、春の訪れを感じる余裕は無い。

     理由は繁殖牝馬の出産が到来するからだ。

     大手の牧場は大人数で交替しながら出産を見守るが、家族経営ではそうはいかない。

     理由は馬の出産は夜であり、生まれるまでの時間が掛かる事が多く、生まれてからも無事に立ち上がるまで見守る事が必要。

     そして、産駒が生まれてから1週間から一ヶ月程、経過して牝馬が発情したら子馬を連れて種付けに向かう。

 

 

     去年の春は子馬が生まれておらず、後の事を考えると良かったと思えるだろう。

     父と旦那が亡くなったのだから、子馬の世話に余裕を裂く事は難しかったと思われる。

 

    「秋子、いつ頃だ?」
    「早くて、3日後あたりらしいですね」

 

     獣医を呼んで、診察してもらった結果は早くて3日後と言う事らしい。

     そうか、と相槌をうちながら口に咥えている煙草を指に挟んでゆったりと紫煙を吐く秋名。

     2頭ともか? と秋名は聞くとスティールハートの仔は遅生まれらしいです、と秋子は説明。

     牡馬が生まれると良いですが、と秋子は願うようにぼやく。

     一応、地方馬主だがなのだが賞金が安い地方競馬だと稼げる量が少ないので種付け料、育成費など諸経費がマイナスになってしまう。

     牡馬なら1歳馬のセリ市に出せば、値段が付く事があるので願望してしまう。

 

    「中央馬主なら所持しておきたい血統ですけどね」

 

     秋子が所持しておきたい産駒の血統はこうだ。

     父トウショウボーイ、母父ノーザンテースト、母母父父アローエクスプレスと、かなりスピード競馬向きの血統。

     とは言え、この血統で地方に持っていっても活躍出来るかと言われたら秋子は首を傾げるだろう。

     因みに3代目まで完全なアウトブリードであり、丈夫なタイプが生まれる予想している。

     アウトブリードとはその馬の血統内に同じ馬名が入っていない事を差し、その逆はインブリードと呼ばれる。

     奇跡の血量と呼ばれる配合があるが、3代目と4代目に同一祖先の持つ事が条件だがデメリットも多くある。

     まずは体質が弱くなる場合も多く、さらに気性も悪くなるなど良い事ばかりでは無い。

     それでも、もてはやされるのは走る馬が多く見られると言う事なので、生産者はリスクを飲んで奇跡を願う。

     だが、アウトブリードはこうした血の弊害は無いが、逆に産駒の走る爆発力はインブリードに比べると落ちる。

 

    「母はそんなに活躍していないんだから、売れるかは疑問だ」
    「……うっ、それを言われるとそうですね」

 

     秋子は珍しく、歯切れが悪い言葉を洩らして秋名はあからさまに溜息を吐いた。

     未出走の母だから、それは仕方が無いのは秋子も分かっているつもりであった。

     その事を言われると意気消沈してしまうほど、一番の問題点なのだ。

     父系はある程度産駒が活躍すれば評価は上がるので良いのだが、母は未出走で初子の場合は特に評価が定まらない。

     そうなると、祖母や伯母、従兄弟などの活躍を目安にするしかない。

 

 

     暫くリビングで配合の事などを話しあっていると、電話のベルが鳴り始める。

     1コール後に秋子はパッと受話器を取る。

 

    「はい、Kanonファームです」

 

     はい、はい、と秋子は電話の近くに置いてあるメモに何かを書き込みながら確認をしている。

     えっ、と秋子が意外そうな声を上げるので秋名は首を傾げて見守っている。

 

    「……では、お電話ありがとうございます」

 

     数分ほどの会話だったが、秋子の表情は実に清々しくなっており、先ほどまで真面目な顔で配合を考えていたとは思えないほどの変化。

 

    「内容は何だったんだ?」
    「実はですね……一頭が重賞に出走する事になったんです」

 

     船橋に預けている一頭の牡馬が出るレースはダイオライト記念。

     このレースはダート長距離の1つであり、距離2400mで行われるのが特徴。

     中央を含めたダート重賞では2番目に距離が長いのでステイヤー級のスタミナを要する。

 

    「いきなり出て、中央に遠征した時みたくならないと良いが」

 

     秋名は慎重に考えているが、秋子には言葉が届いていなかったようで浮かれているのが分かる。

     はぁ、と小さく溜息を吐く秋名の姿が確認された。

     勝つのが決まったわけじゃないのに、と秋名はぼやいてコーヒーを淹れるためにキッチンに向かう。

     ダイオライト記念まで後2週間も先なのだが、秋子からしたら重賞に出走しただけでも幸福の出来事である。

     その後、祐一と名雪も出走することを知り、手放しで喜んでいた。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     特に無し。