サイレントアサシンはレース直後から既に息が入っていた、と秋子の下に伝えられていた。

     つまり、馬が必要とする全速力で走る事をアッサリと放棄し、遊びながら駆けていた事になるので、疲れが残るのは絶対に無い。

     ある程度残るのは確実だが、優勝したヌエボトウショウに比べると疲労度は数%にも満たないだろう。

     秋子は、この事を聞くと嘆息を深く吐き、呆れ返った表情で僅かに染みが浮かんでいる天井を見上げてしまう。

 

    「まったく、6歳馬なのにこんな走りをするのは不甲斐無いですよ」

 

     秋子はボヤくが既に結果は確定しているので、今更口にしても意味が無い行動。

     こんな走りをしたのでは疲れが無いので連闘も考えられたが、現在はOP戦の数が少ないので不可能。

     なので、3月に行われる中山牝馬Sまでもう一度、一から調教を仕切り直して、汚名返上をしなくてはならない。

     中山牝馬Sの結果次第では引退させる事を視野に入れなくてはならないだろうし、今後の命運を決定するレースとなる。

 

    「引退するとなると、配合を考えないと駄目だな」
    「そうですね……今の所は何を付けるかは不明ですが」

 

     様々な種牡馬案を画策するが、ハギノカムイオーの短距離からマイルまでの距離適正を如何に活かすかが料理――配合のし甲斐どころだろう。

     そして何よりも気性が勝っているタイプなので、その気性を更にキツくさせて狂気の馬を産み出して短距離路線を狙っても良い。

     秋子の表情は実に生き生きとしており、サイレントアサシンのレース振りを忘却の彼方に置き忘れた様に配合を考え始める。

 

    「……相変わらず、配合を思考している時の表情は違うな」

 

     秋名はジッと眼を細めて、秋子の様子を観察する様な表情で一言呟くが秋子にはその言葉が届いていないようだ。

     はふぅ、と秋子の表情を見ながら、秋名は手に所持しているコーヒーカップの存在に気付きゆっくりと口を付ける。

     コーヒー独特の苦味と甘味を楽しみながら秋名はティータイムとして、出された秋子お手製の程よく狐色に焼けたクッキーに手を伸ばす。

     ポリポリ、と子気味良い音を立てながら、秋名は味わいながら口に運び暫くはティータイムに夢中となった。

 

 

     その頃、名雪と祐一は美坂家に招待されており、祐一だけが相変わらず肩身が狭い思いをしていた。

     その理由は名雪、香里、栞、そして美坂姉妹の母親――伊織と4人の女性陣と唯一の男性では肩身が狭くなるのも当たり前。

     特に伊織は大人の雰囲気を醸し出しており、香里と同じく薄茶色の長いウェーブヘアが特徴的。

     秋子と秋名とはまた違った妖艶さを持つのだが、コロコロと表情が変化し随分と子供らしい性格の持ち主で外見と内面が合わさっていない。

     20代前半と言っても良いくらい外見上の若さなのは、香里と栞の姉と言い切っても通用してしまう嘘になってしまうだろう。

     そして、その本人はギュッと祐一に背後から抱きついており、先程からこの状態が続いているので3人の冷酷な視線が祐一に襲い掛かっていた。

 

    「えっと……そろそろ離れてくれませんか?」

 

     祐一は伊織に懇願するが、一方的に更に強く抱きしめられて、背中にはそれなりにふくよかな双丘が押し当てられている。

 

    「えー、もうちょっと抱きついていたいなぁ」
    「ちょっと……お母さん、良い歳をしてこれ以上恥ずかしい事をしないでよ!!」
    「ぶーぶー、それにまだわたしは若いよー」

 

     伊織は口をすぼめつつ、ブーイングを香里に向けて放つが、香里は大きく嘆息を吐いてしまう。

     それでも香里に怒られたのが堪えたのか、名残惜しそうに祐一から離れた。

     香里は頭痛がしたのか軽く眉間を押さえ、もう一度溜息を吐いてから気を取り直して祐一の方に顔を向ける。

 

    「ごめんね、相沢君」
    「……気にするな」

 

     良い事もあったし、と祐一は小さな声で呟くが、その言葉はキッチリと女性陣に聞こえていたようで三者三様の反応があったと記しておく。

 

 

     暫くすると、木製のテーブルの上に中サイズでホールタイプのケーキがドンと中心に置かれる。

     生クリームが大量にコーティングされ、選り取り見取りのフルーツが飾られて中心部にはバニラアイスが。

     そして、バニラアイスの周辺にはロウソクが9本、ユラユラと小さな火が幻想的に揺れていた。

     本日は栞の誕生日であり、名雪と祐一が美坂家に居るのはこれが理由。

     フッ、と栞がロウソクをかき消すと同時に4人から拍手が送られて、照れくさそうに頬が赤くなる栞。

 

    「はい、これがわたしからのプレゼント」

 

     名雪が手渡したのは包装紙に包まれている小規模の箱で、カラカラと金属音が響く。

     栞は開けて良い事を名雪に確認すると、ゆっくりと包装紙を剥がして箱を開けるとU字のアルミ金属が1つ出てくる。

     少しばかり泥で汚れており、僅かに数回だけ使われただけだと分かる汚れ具合。

     そして、U字の上には編み込まれた糸が壁などに駆けやすい様にセットされている。

 

    「どの馬の蹄鉄ですか?」
    「ウインドバレーが東京大賞典を勝利した時に履いていた奴だよ」
    「えっと……そんなに良い物貰って良いんですか?」

 

     名雪は小さく頷くと栞はお礼を言い、次は祐一から受け取る。

     祐一が手渡したものは名雪が渡した物に比べると、小さな紙の袋に収まっていたが、それは白毛馬の抜け毛を編みこんで使用した首飾り。

     中心には小さく銀細工の馬飾りが付けられていた。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     特になし。