祐一と名雪は当時――10年前から調度品以外変わっていないリビングで真新しいソファーにお互い対面に座っている。

     リビングには優勝した重賞――2005年のガーネットSを勝利したのが最後となる優勝カップが飾られていた。

     その馬は父エルコンドルパサーを持つヤマトノミオの産駒で、既に引退して悠々自適に過ごしている状況。

     とはいえ、昔からのKanonファームの方針として相変わらず、1歳馬や放牧されている古馬の調教パートナーとして活用しているのが分かる。

     今は新潟競馬場で設立された直線1000mの重賞――アイビスサマーダッシュなどに合わせたコースで調教が行われていた。

     閑話休題。

     名雪の方は経営者として板に付いたのが分かる態度でソファーに腰掛けて、射貫くように細められた視線で、祐一の顔をまっすぐ見据えている。

     だが、祐一も名雪とは長い間顔を合わせていなかった相手とはいえ、飄々とした態度でソファーに座り続けている。

 

    「暇じゃない俺に何の用だ? わざわざ、北海道まで呼び出す理由が分からないんだが」
    「はっ、開催最終週で斜行したあげくに1着から最下位になって、当然の騎乗停止になった人が暇と口にするか」

 

     祐一は中央に移籍出来る権利を直前にしての騎乗停止になった事を突かれると、ぐうの音も出せなかったようで、名雪に鼻で笑われてしまう。

     この出来事は珍事として競馬新聞の片隅や競馬雑誌のネタに掲載されており、多くの競馬関係者に知り渡ってしまっているのだから。

 

    「いやはや、その時は壮大に笑わせてもらった。年明けから中央デビューの筈が一気に萎んだからな」
    「この話をする為に呼んだのか?」
    「そう思われるのは心外だが、まあいい。近い内に乗ってもらおうと思っていた馬が居たんだがな」

 

     名雪は心底、残念そうに目を瞑りながら頭を振って、肩ほどまで伸ばしたショートヘアが揺れる。

     祐一は胡散臭そうな表情を名雪に向けるが、名雪が差し出してきた書類――騎乗依頼をする馬の血統が書かれていた。

     その馬は2歳未勝利で2戦0勝と、血統が良い割に勝ち上がりが遅いのが特徴だった。

 

    「確か、この馬の馬名はフォックステイルだったな」

 

     祐一は迷う事無く、あっさりと2歳未勝利馬の馬名を血統のみで名雪に告げると、感心した様に頷く。

     父は欧州でG�毅系⊂,竜�録を作りあげ、ザ・ロックの愛称で世界に知り渡る名馬――ロックオブジブラルタル。

     母は欧州の重賞を制した牝馬で、母父には凱旋門賞の覇者サキーを輩出しているバーリ。

     ノーザンダンサーの4×5と非常に薄いインブリードながら影響したのか、激しい気性を露わにして、2戦連続で1番人気ながら不甲斐無い結果だった。

 

    「残念ながら、祐一は騎乗停止だからな。代理として沢渡騎手に頼むつもりだ」
    「……真琴か。まだ中央で騎乗出来る規定勝利数に達していないはずだが?」
    「噂によると、地方馬が2歳500万下に出走してくるみたいでな。天才と呼ばれる沢渡真琴が地方馬と共に来るなら、依頼は可能になる」

 

     地方競馬の騎手が中央で乗るには規定勝利数から依頼を受ける事は可能だが、地方馬と共に遠征してきた場合は緩和されて、規定数未満でも依頼可能に。

     2人が言う騎手――沢渡真琴は川崎競馬所属の女性騎手で、祐一の後輩にあたる存在。

     栗色の髪の毛と強気の性格が目立つ存在だが、外見に合わず人見知りが激しい部分も。

     だが、レースで騎乗している時は別人と思える程、勘が鋭く臆せず馬群に突っ込ませる腕前を持ち、巧みに馬を操る事が長けている。

     佐祐理が欧州帰りのヨーロピアンスタイルで攻める豪腕に対して、真琴は勘と度胸が優れた天才といえるだろう。

 

    「良くまぁ、そんな競馬記者でも知らない情報を得ているな」
    「時代は如何に素早く新鮮な情報を仕入れるかが生き残るコツと学んだからな。沢渡騎手で参戦させる知り合いの馬主が漏らした情報だから間違いない」

 

     名雪は、それだけを口にするとソファーから立ち上がり、窓の傍に寄って屋内馬場で行われている調教に目を細めて見やる。

 

    「どうだ、祐一? わたしの見立てではフォックステイルは走ると思っている」

 

     そこには名雪が祐一に騎乗依頼をしようとしていたフォックステイルが調教パートナーと調教コースを駆けている。

     栗毛の3歳馬が古馬を相手に余裕で煽っており、際立つ動きが見る者を惹き付ける走り。

     だが、それは一瞬だけであって、あっという間に口を割って騎乗している従業員と喧嘩をしてしまう。

 

    「……あれは気性さえ、まともになれば走る逸材だと思う。ただ、そこまで持って行くのが厳しそうだな」

 

     現役騎手である祐一の評価は、気性さえまともになれば走るという実に単純で分かりやすい評価。

     だが、現状では祐一は騎乗停止中の為、代わりに沢渡真琴が騎乗するので、残念そうな表情で呟いていた。

 

 

     1部に戻る   2部に戻る     ← →

 

     この話で出た簡潔競馬用語

 

     注1:ロックオブジブラルタル……父デインヒルらしく短距離G�気鬘系⊂,靴討い襦�
     注2:バーリ……クイーンエリザベス�僑咾覆匹鮠〕�している短距離馬。