クラシック間際になると各陣営はトライアルによる出走権利や取得賞金での権利を狙ったりする。

     サラブレッドにとっては一生に一度のレースが3歳クラシックなので、およそ9000頭の中から出走出来るのは18頭という狭き門。

     そして、その世代で頂点に立てるのは1頭だけ。

     そのため、どの陣営もベストの仕上がりではなく最高の仕上がりで挑み、人馬一体の歩調でクラシック制覇を夢見る。

     それは騎手にもいえる事で18頭に騎乗する枠の殆どはベテランと実績を積み重ねてきた一握りの騎手で埋まってしまう。

     有力馬には早い内から実績を持つ騎手が騎乗するので、そのままクラシック戦線に軌道を乗せやすい。

     とはいえ、多くの実績を持つ騎手は悩む程のお手馬の数が多いので、乗り代わりは必然。

     そして、その騎手が空いた馬にはそれなりの実績を持つ騎手が騎乗する事が多い。

     即ちリーディング下位の成績ぐらいの騎手ではクラシックに乗る事が出来ないようなもの。

     運の巡り合わせみたいなもので、代理で依頼された騎手がテン乗りでG�気鮠,鳥�があれば、その逆も然り。

 

    「はぁ……また乗り代わりかぁ」

 

     黄昏れ、ガッカリと肩を落として溜息を吐いている騎手は音薙有希。

     有希が騎乗して500万下を勝利した馬が居たのだが、クラシック路線に乗るかの瀬戸際だったため、OP戦直前で乗り代わりとなってしまった。

     今年は3月まで何とか7勝しており、同じ女性騎手である佐祐理の成績――19勝に比べると大きく差を付けられているが、既に去年よりも勝利している。

     それでも乗り代わりとなってしまったのは、単純に有希の実績が重賞未勝利なのが大きい。

     佐祐理はG�気海従〕�していないが、通算で8勝と女性騎手としては最多の重賞勝利数。

     トロピカルサンデーで牝馬クラシックに参戦する佐祐理と比べて、有希はお手馬が居なく、クラシックの道が閉ざされたのだから。

     そんな訳で有希は黄昏れているのだが、騎手仲間ではお互いにライバルなので励まし合う様な事はしない。

 

    「……で、あたしにどうしろというの?」
    「愚痴を聞いてもらいたいだけなんだけど駄目かな。朔夜」

 

     朔夜と呼ばれた女性は目尻が釣り上がっている鋭い蒼眼を有希に向けながら、肩下辺りまで伸びている金糸の様なきめ細かい髪を払い、嫌そうな表情になる。

     人を寄せ付けない冷たい表情ながらも、有希はにこやかに朔夜の顔を頬杖しながら見つめていた。

 

    「そんな顔をしていても、話をきいてくれるんでしょ?」
    「……分かったわよ。さっさと話しなさい」

 

     朔夜は深く溜息を吐き、数少ない親友である有希が口を開くのを待ち続ける。

     競馬関係者では無い朔夜は有希と会える時は滅多に無いので“偶々”休日を利用して久しぶりの再会となった訳である。

     そして、暫くすると有希は口を開き始めた。

 

    「このままの成績だと、あまり乗れる時が少なくなりそうなんだよ。今は何とか成り立っているけど」
    「……営業はしているの?」
    「生き残る為だから、それは毎日しているよ。唯でさえ外人騎手の来日が多くなったから益々苛烈なんだよ。競馬業界は」
    「……競馬は見ていないから知らないわ」

 

     朔夜は身も蓋も無い言葉でバッサリと切り捨ててしまったので、有希はガッカリと肩を落としてしまう。

     親友である自分がTVに出ていようが、見ていないと言われてしまっては突き付けられている現状が有希の肩に重くのし掛かる。

 

    「うぅ、なんで見ていないの」
    「……興味ないもの。それに有希の成績だと応援し甲斐無いわ」

 

     今の有希の成績では応援されるようなものではないので、朔夜の言い分はもっともだろう。

     言い換えれば、成績さえ上がれば応援はするという事を示しているのだが、朔夜はその事に関しては一切口にしないと思われる。

 

    「うぅ……頑張るよ」
    「……そうしなさい」

 

     朔夜はそれだけをいうと、テーブルに置いてある淡いブルーのコーヒーカップに手を伸ばして、薄く口紅を引いた唇をカップの端に付ける。

     冷め切ったコーヒーの味に顔を顰め、ソーサーに戻してから有希の顔を覗く。

     それでも有希の表情は普段通り、笑みを浮かべているが朔夜の言葉に思った所があったのか、少しばかり顔が引きつっている。

 

    「で、私はどうすればいいのかなぁ」
    「……さあ? 引退するのが嫌なら鞭1つで海外にでも遠征したら?」

 

     先程、興味ないと言ったにも関わらず、ある程度は競馬の事を調べているようだ。

     その朔夜の言葉に有希は先程とは打って変わって思いっきり笑みを浮かべ、嬉しそうに口を開く。

 

    「えへへ、やっぱり朔夜は興味ないと言いながら、それなりには知っているんだね」
    「……そう思うなら、そう思って良いわ」
    「うん、そうしておくよ。それと今日はありがとう。ちょっと決心が出来たから、もうちょっと頑張ってみるよ」
    「……そう。それなら頑張りなさい」

 

     有希は黄昏れていた時よりも良い表情になり、今までのままよりも一か八かで海外で新天地を求める事に決心したようだ。

     日本で騎乗馬が集まらないよりも、例えレースに騎乗出来なくても海外で刺激を受けた方がまだマシになる可能性もあるのだから。

     海外も調教専用の厩務員が居るので激戦地区に違いないが、鞭1つで海外遠征が出来るという事は何処にでも騎乗馬を探しに行けるのが騎手の特典。

     そして、後日。

     競馬新聞のひっそりと片隅に音薙有希騎手、海外へ長期遠征と誰にも知られないような位置に記されていた。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     特になし。