トロピカルサンデーは無事に初出走初勝利を挙げた事で、クラシック路線に駒を進められる様になった。

     ただ、デビューが2月の中旬と遅かったので、ここからは駆け足で尚且つ格上挑戦でOPを勝たなければ、桜花賞の道は閉ざされてしまう。

     そう、母――イチゴサンデーが勝利出来なかったクラシック制覇という目標があるのだから。

     イチゴサンデーは日本馬初の米国芝G�機宗愁▲瓮螢�ンオークスを制した覇者で、NHKマイルカップも勝っている実力馬。

     それだけ母の壁は高く、娘のトロピカルサンデーには超えなければならない壁として、今回の勝利で改めて存在した事だろう。

 

    「久しぶりにイチゴサンデーの仔で期待出来そうな馬ですね」
    「今までの産駒は気性が激しくて結果を残せなかった産駒が多かったからな。 それと初めての牝馬だから心配もあったが杞憂で済んだのは良かった」

 

     ウイナーズサークルでは名雪と調教師がトロピカルサンデーに関して話しており、次走に対する態度は今の所は不明に近い。

     そして暫くするとトロピカルサンデーに騎乗したままの佐祐理と牽き手の厩務員が闊歩しながらウイナーズサークルに近づいてきた。

 

    「お疲れ、佐祐理。次走も乗ってもらう予定だが大丈夫か?」
    「うん、今の所は私のお手馬でクラシック路線に行けそうな牝馬は居ないから、急遽依頼されない限りは大丈夫」
    「そうか。じゃあ、これからも頼む」

 

     名雪が手を差し出すと佐祐理は躊躇うことなく、その手を握り返してここで引き続きトロピカルサンデーへの騎乗依頼が契約される。

     その横では祐一と佐祐理の娘――祐がジッと、目を輝かせながら2人のやり取りを眺めていた。

     子供にとってはこうした大人のやり取りは一種の憧れに近く、自身の母親である佐祐理がしているのなら尚更だろう。

 

    「そろそろ、撮りますので準備良いですか?」

 

     一眼レフを片手に持つ女性競馬カメラマン――栞が声を掛けると、トロピカルサンデーを除いて全員がカメラの方に向く。

     祐もカメラの方に向くが、この点はしっかりと躾けられているのかカメラに向かってピースはせず、子供らしい笑顔を振りまく。

     こうして、中央競馬では珍しい夫婦対決は祐一の中央移籍後の初レースという事もあって、佐祐理に軍配が上がった。

     だが、2着とはいえ7番人気の馬を持ってきた事で祐一の実力に疑問視を持っていた調教師達は評価を改めざるを得ないだろう。

 

 

     一方、勝者であるトロピカルサンデーの陣営はウイナーズサークルで撮影が行われているが、敗者達は検量室前で記者から敗因を尋ねられている。

     特に注目を集めているのは、やはりというべきか中央移籍後初のレースとなる祐一だった。

     そして、何よりも先ほど勝利した倉田佐祐理の夫なので、多数の記者にとっては聞きたい事が満載だろう。

     多くの記者がボイスレコーダー或いはペンとメモ帳を片手に祐一の発言を待ち受けており、祐一は一瞬だけたじろいでしまう。

 

    「3歳馬の走りはどんな感じでしたか?」
    「そうですね。距離が短いと思いましたけど、早仕掛けした分何とか2着に雪崩れ込めた感じです」
    「距離が伸びれば勝算はあるとみて良いのでしょうか?」
    「今回の1400mよりも血統からして、2000前後なら十分可能性を秘めていますよ。後はもう少し馬体が成長してくれれば楽しみです」
    「このレースでは奥さんが騎乗したトロピカルサンデーが勝利しましたが、今の心境は?」
    「うーん……これからも何百回は同じレースで戦う事になりますし、この1戦はまだ通過点ですから、最終的に勝ち越せば良いと思っています」

 

     祐一はそつがない受け答えをし終えると、記者達は他の騎手への取材を続ける為、ぞろぞろと移動していく。

     その中に1人の女性――香里だけが他騎手の元へ取材に行かず、祐一の傍に近づいてきた。

 

    「久しぶりね。相沢君」
    「よっ、香里。すっかりと競馬記者に板が付いているな」
    「その事はあまり言わないでよ。馴染んでいる事を自覚しているんだから」

 

     香里は首から掛けている記者である事を示すカードホルダーを弄りながら、深く溜息を吐き出してしまう。

     それでも嫌そうな表情を見せないので、香里に適した仕事だったのだろう。

 

    「ああ、そうだ。相沢君のお陰でちょっと儲けさせて貰ったわ。まぁ、本命はトロピカルサンデーだけど、対抗は相沢君にしていたから久しぶりの万馬券よ」

 

     香里はピラピラと指先に挟んだ馬券を嬉しそうに弄んでおり、その馬券は3連単で1点買いとなっていた。

     3着に来たのが5番人気だったので、3連単となればそれなりの配当が付く。

     因みに栞は祐一を本命にした所為で3連単は外し、馬連を辛うじて的中したのみだった。

 

    「そりゃあ、どうも。っと、そろそろ次のレース準備をしないとな」
    「引き留めて悪かったわ。次のレースも期待しているから頑張りなさいよ」

 

     馬券的な意味合いか純粋な応援かハッキリしない香里から応援を受けて、祐一は苦笑いを洩らしながら検量室に戻っていった。

 

 

     1部に戻る   2部に戻る     ← →

 

     この話で出た簡潔競馬用語

 

     注1:トウカイトリック……父はエルコンドルパサー。
     注2:オーシャンエイブス……父はマヤノトップガン。
     注3:エリシオ……3歳馬ながら凱旋門賞を制している。