Kanonファームでは調教コースで春の入厩を目指す2歳馬がウッドチップを蹴り上げながら、引退した古馬陣に食らい付こうと駆けていく。

     ただ、まだ身体が出来上がっておらず、埋めがたい経験の差があるので相手になっていないのが実情。

     それでも身体を作る為にはここで手を抜く訳には行かないので、じっくりと長い時間を掛けて調教を行う。

     骨折をした1頭――イチゴサンデーの05を除いた調教だが、どの馬もしっかりとした走りを披露している。

     これも近年に入ってから調教施設のレベルアップや調教助手の腕前が上がったのが一因となっており、徐々に成績が上がってきている。

 

    「この走りなら1頭は7月デビュー出来るか」

 

     名雪はコース脇から屋内馬場を力強く駆けていく2歳馬の走りを眺め、満足そうに頷く。

     その2歳馬は他の2歳馬に比べると既に馬体は完成の領域に近づいており、未だにデビューしていない3歳馬と違い早熟馬らしくガッチリとした筋肉質。

     Kanonファームの生産馬が1番時計を出した訳ではないが、余所の馬に比べてもラスト1ハロンのタイム差は0.1秒と食らい付いている。

     余所の馬――Kanonファームの調教施設は日高地区の牧場も共同で利用しているので比較する対象を見つけやすく、或いは比較される対象にもなる。

 

    「後は春頃に仕上がるのを期待して、入厩させれば良いか」

 

     2歳馬の馬体は冬毛が生えている状態なので見た目が悪く、こんな格好では調教が良くても馬体が悪いと調教師から見られてしまうのだから。

     名雪はそろそろ調教終了の頃合いと感じたのか、チラリと計測用のストップウォッチを眺めてから、馬場内に向かって手を大きく振る。

     騎乗者はキャンター状態で走らせていた2歳馬の手綱をゆっくりと強く引っ張り、トロット――速歩にさせてから、名雪が居るラチ側に寄せる。

 

    「今日の走りはどうだ?」
    「僕は2日振りの騎乗でしたけど徐々に仕上がって来ていますよ。後は少し息を抜いて走る事を覚えてくれれば、距離が伸びても大丈夫でしょうね」
    「……そうか。お疲れ、一弥。今日はもう上がって良いぞ」

 

     Kanonファームでは調教時の騎乗者は毎日同じ者ではなく、騎手の乗り代わりに慣れる様に交代制で行われている。

     特に最近は外人騎手が短期免許で来日する事が多く、帰国後には成績が良かった馬がガラリと変わった様に成績を悪化してしまう事も。

     唯でさえ乗り代わりが多いのが日常茶飯事なので、こうした手段が成績に繋がると信じて。

     一弥は返事をしてから、再び2歳馬を歩かせて厩舎脇の洗い場に向かわせた。

     因みにこの後は馬体を洗って、馬房に戻して飼い葉を与える作業もあるのでまだまだ一弥の仕事は終わりそうも無い。

 

     

 

     さて、今週の競馬はナリタトップロード産駒のハネダニハマケナイが新馬戦に出走する。

     父が菊花賞馬のナリタトップロードに母父がブライアンズタイムと重厚な血統だが、祖母はエリザベス女王杯を制したミストケープ。

     即ち、中距離から長距離をこなせそうな血統と無駄な筋肉が一切付いていないステイヤーの体型。

     この時期にデビューとなったのは距離適正となるレースが2歳時には少なく、まだ成長しきっていないと理由があった。

     ようやく使える状況になったので、東京芝2000mと適したレースに。

     ただし、人気としては現代競馬には似つかわしくない重厚さがあるので、12頭中5番人気となっている。

 

    「エンジンの掛かりが遅い方だから、早めに仕掛けてくれよ」
    「血統からして切れ味は無いですけど、この雨はこの馬にとって武器になりますからね」

 

     なので、勝算はありますよ、と騎手は他の陣営に聞こえない様に囁く。

     実際にハネダニハマケナイの蹄低は深く、重馬場や不良馬場をものとしない形で、この事は調教をこなした騎手や報告を受けた調教師も知っている。

     前日から一日中雨が降っており、馬場はぬかるんだ状況で1レース目から波乱の幕開けが続いていた。

 

    「しかも、内枠には雨が向きそうもない1番人気が入っていますし、思いっきりチャンスはありますよ」

    「……一応、泥を被りすぎない様に注意しろよ。まだその辺は分からない事があるからな」

 

     騎手は手をヒラヒラと振ってから、雨中の中で返し馬を行う。

 

 

     そして、この新馬戦の結果は飛び散る泥を頻繁に被りながらも中団から早めに仕掛けたが、逃げていた人気薄の馬を躱せず2着に敗れてしまう。

     鼻差という僅かな差での敗北だったが、長く使える脚を有して不良馬場をものとしないスタミナには十分な見所があった。

     今回の敗戦は勝ち馬との位置取りの差が明暗を分けた様なもので、この結果は運が悪かったとしか言いようがない。

 

    「負けはしたが次走に繋がるのは確実なので、次走も続けて乗ってもらうと伝えておいてくれ」

 

     名雪はハネダニハマケナイに騎乗した騎手が次のレースに騎乗する事を知っているので、調教師に伝えておく。

     続けて乗るかは騎手の判断によって決定されるので、拒否されれば別の騎手に依頼しなければならない。

 

    「分かりました。キッチリと伝えておきます。この後のローテーションは様子を見てから体調次第で連絡します」
    「そうしてくれ。間違いなく初出走が不良馬場では慣れない競馬も相まって見た目よりも消耗しているだろうしな」

 

     名雪はそういって後検量の馬場で待機しているハネダニハマケナイを労い、調教師に後の事を頼むととんぼ返りで北海道に戻っていった。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     特になし。