バン、と何かを叩く音がリビングから響いており、それに付け加えて激しい口論が問答無く降り注ぐ。
ルリイロノホウセキが惨敗し過ぎた事で今後のローテーションに付いて話し合いが行われている。
ハッキリ言うと、11着は負け過ぎでこれ以上の成長力が望めないのが理由。
せめて1桁順位ならば、まだまだ現役続行しても問題が無いが2桁着順では引退して繁殖に上がった方が有益だろう。
だが、そうすると繁殖牝馬の数が5頭になり、1頭辺りの種付け料の分担が安くなってしまうのがデメリット。
1頭を他所の牧場に売却してしまうのが、最も良い選択だがどの馬も愛着があるので選び抜けないのがKanonファームの現状のようだ。
「だから、クイーンキラを売却した方が良いんじゃない!」
「でも……産駒がデビューするのが今年よ。デビュー次第ではより高くなるわよ」
名雪と秋子のちょっとした意見の食い違いの会話は喧嘩腰になりつつも、続いているのは牧場の事を第一に考えているから。
どちらの意見も正しく一長一短があるので、簡単に決定出来ないと言える。
因みに1番売却の候補に挙がっているのはクイーンキラで、ファントムとフラワーロックはかまど馬なので省かれている。
「どっちが良いんだか」
ふむ、と秋名は顎に手を添えて思考に耽るが、今回はコインの裏表で決められる程、単純な話ではない。
秋子の理論だと産駒デビュー次第で価値は上がるが、惨敗してしまうと値が下がる。
逆に名雪の考えでは、今なら一定の価格から高くはならないがデビュー戦で勝利された後だと購入した牧場が得してしまう。
「どっちも正しいからな」
祐一は女同士――母子の口喧嘩に巻き込まれないように、ボソリと中立寄りの発言をする。
2人には祐一のその発言が聞こえたのか、お互いに視線を横にずらして祐一の表情を見据える。
蛇に睨まれた様に祐一は硬直してしまい、2人の視線――威圧感のある
4つの瞳から逃げられない状況。
ツゥと祐一の額には夏でもないのにストーブこそは点いているが、部屋の温度は適温にも関わらず汗を汗を掻いている。
母である秋名に助けを請うが、秋名は傍観するために口に煙草を咥えつつ軽く肩を竦めていた。
即ち――自分で何とかしろ、と秋名は言いたいのだろうが、その表情は悪戯をする子供に近かった。
「んで、祐一はどっちの味方?」
名雪はジッと眼を細めて、祐一を射抜くように威圧感のある視線を繰り出している。
秋子の表情はいつもの様に笑顔であるが眼は笑っていない分、恐ろしさがハッキリと現れていた。
祐一は2人が発するプレッシャーに耐えられなかったようで、露骨に視線を逸らして被害を減少させようと試みたようだが逆効果だった。
ますます威圧感が強まり祐一は辛うじて返答をしたのだが、その内容は仔馬が産まれた後と言う案。
これならば、秋子と名雪の意見に尊重しやすく仔馬の産まれ次第では母馬の評価がアップする事がある。
産まれた仔馬の評価が高いとそれに比例するようにほんの僅かであるが、評価が動くのは確か。
なので、祐一の意見は2人の威圧感を四散させる程の効果を持っていた様だ。
2人はお互いに顔を見合わせてから軽く瞬きを行い、何事も無かった様に緩やかな空気がリビングを包む。
「……うん、良いんじゃないかしら」
「そうだねぇ。もう、これで良いよ」
祐一はホッと胸を撫で下ろし、額を濡らしている多数の冷や汗を手の甲で軽く拭う。
秋子と秋名、名雪は話し合いが決定した事で和気藹々とリビングからダイニングに向かって行く。
そして、3人がリビングから居なくなった事で祐一はポツリと聞かれない様に一言呟く。
「……女って怖いな」
と、男の本能に従った言葉が淀み無く祐一の口から洩れてしまうほど、恐怖心を刻み込んだようだ。
ようやく意見がまとまった事でルリイロノホウセキを引退させる事が確定した。
電話越しでの調教師は残念そうに話していたようで、調教師にとっては預かっている馬は自分の子供の様な感覚が大半。
駄目な子な程、可愛いと言うのは語弊ではないだろう。
勿論、今後も他の馬やルリイロノホウセキの仔馬を預けて縁を繋いでいくのが普通なので、秋子もそれを選択する。
縁が途切れると、馬を預かってくれる厩舎の数が減ってしまうのだから。
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この話で出た簡潔競馬用語
特になし。