――1992年。
新たな年になり、競馬界でも新たな出来事が起こるかと思えば何も起こらずに淡々と日々が過ぎていく。
外国産馬の脅威は日々に増えていくが、徐々に内国産馬も成績が良くなって来ているが、世界で戦うにはワンステップ以上のレベルアップが必要。
今でも海外遠征に消極的なのは、シンボリルドルフがアメリカのサンルイレイSで敗れた事が心理的に焼きついているのだろう。
GⅠ勝ち馬の遠征は少なくなっているが、重賞クラスの馬は稀にだが海外遠征してくる事がポツポツと増えている。
主に招待レースで日本代表として出走しているのだが、遠征馬のレベルは国内で見ればGⅢクラスくらいが妥当な馬が多い。
残念ながらGⅠ馬が遠征しないのは、国内の賞金が破格な事と遠征に踏ん切りがつかない事があるからと言い切れる。
最近は香港にあるシャティン競馬場の12月に行われる香港国際レースに各陣営が出走プランを検討しているが、実行はされた事がない。
気温と湿度も日本に近い感覚であり、飛行機での距離が短いので遠征には向いているとは思われるが欧州に比べると軽視されがち。
「香港競馬ですか……身近なんですが海外で勝利した感覚は薄くなりそうです」
秋子は競馬雑誌の広告として書かれている香港競馬の詳細と海外遠征馬に関する事を読みつつ、一言呟く。
秋子もどちらかと言うと欧米主義なので、あまり香港競馬には興味無さそうな表情でページを捲っていく。
「そんなに海外が良いんでしょうか?」
ポツリと秋子は独り言を呟いてから、何かを思い出したようにサイドボードの引き出しに仕舞われている物を取り出す。
綺麗に折り畳まれた手紙――エアメールの差出人部分には倉田隆道の名が書かれていた。
主な内容は秋子の所有馬であるウインドバレーが重賞を勝利した事によるお祝いの言葉、そして海外競馬に関するお誘い。
簡単に言うと、いつか海外遠征或いは海外で牧場経営しませんか? と言う内容だが、現状ではそのようなプランはまったく考えていない状況。
「どうした? ん……海外の事か」
「そうなんですよ、これだけ海外の事が取り上げられているのが多くなると少し気になるので」
秋名は小さく頷いてから、秋子が読んでいた競馬雑誌を引ったくり、ペラペラとページを捲っていく。
暫くは競馬雑誌の方に集中していたようだが、海外競馬の記事を読み終わると秋名は2回頷きながら雑誌を閉じる。
「確かに海外遠征に関することが書かれているな……名雪ちゃんが牧場を継いだ後に海外で牧場を開くのはどうだ?」
「……それも良いですねぇ。それならいつか名雪が生産した馬と勝負が出来そうですし」
その言葉に秋子は反応して、ポンと手を打ち合わせてプランを組み立ててしまったようだ。
2人の表情は小悪魔的な顔になっており、秋名に至っては口端を思いっきり吊り上げて面白い物を見つけた悪戯っ子の表情。
「その時、姉さんはどうするんですか?」
「勿論、秋子をサポートするために一緒に行くが」
ありがとうございますと、秋子は照れくさそうにお礼を言うと、秋名も恥ずかしいのか僅かに頬を赤く染めてしまった。
同時刻。
Kanonファーム内にある1歳馬牝馬厩舎で掃除を行っていた名雪は小さくクシャミを洩らして軽く首を傾げてしまう。
作業の手を止めて、名雪は自身の掌を額に当てるが体温は平常だった様ですぐさま再開するが、疑問は解けなかったようだ。
「誰かが噂していたのかな?」
「秋子さんと母さんだと思うぞ」
もう一度名雪はクシャミをしてから、納得したように大きく頷いて肩を竦める。
「あー、あの2人なら何か企んでいそう」
気が付いた時には手遅れな事が多いので、事態が巻き起こる前に行動したい所だが、長年の姉妹の絆には2人ではまだまだ読みきれない。
「それは置いておいて、祐一は騎手になるんだよね?」
名雪は作業したまま、隣の馬房にいる祐一に応答を求めると歯切れが良い答えが返ってくる。
「勿論、そのつもりだが」
「あ、わたしがお母さんの後を継いでも騎乗馬は回さないと思うよ」
先に釘を刺す名雪の言葉に対して、祐一はガッカリと肩を落として一時的に作業の手を休めてしまう。
「まぁ、そう言う訳だから実力付けてくれないと依頼する事は無いね」
「……鬼」
ポツリと祐一は小声で反撃をするが、名雪にはキチンと聞こえたようで鼻で笑っていた。
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この話で出た簡潔競馬用語
特に無し。