北海道の短い夏は終わりを告げて、新たな季節――秋が到来し始める。

     秋の雲である鰯雲――或いは鱗雲がユラユラと空を覆う様に浮かんでおり、青白い雲がいくつも群れている構造。

     Kanonファームの放牧地以外の土地や路面にはススキが見つけられる状態で秋の香りが風に乗って鼻腔をくすぐる。

     放牧されている繁殖牝馬も夏の暑さよりも、やや涼しい時期である秋の方が好みなのか敏捷に放牧地を駆け巡っていた。

     もう1つの理由は仔別れが行われた為、傍にいない我が子を探し回っているのかもしれない。

     仔別れした0歳馬の数は去年クイーンキラが不受胎だったため、今年の0歳馬の放牧地は普段よりも広々としており、その分の寂しさが募る。

     仔馬も母馬を探し回るために広大な放牧地を駆け回りつつ、嘶いているので泣いている子供が迷子になっている事と一緒だろう。

     競走馬のスタートはある意味ここからであり、何も考えずに思いっきり走れるのは最初で最後。

     1歳馬になったら――いや、0歳の終わり頃から鞍を背中に乗せる事が始まり、最終的には人を乗せ、育成牧場で調教を教え込まれていく。

     なので、実質的に何も考えずに思いっきり走れるのは2〜3ヶ月程度だけ。

 

    「これで、今年の仔別れは終わりと」

 

     仔別れしてから約1週間。

     既に仔馬は嘶く事も無く、2頭の0歳馬は共に放牧地を駆け巡って喧嘩したりしているが特に問題が無いようだ。

 

    「まぁ、仔別れくらいで問題が出るのも困るか」

 

     名雪は仔別れが済んだ仔馬達を柵越しから眺めており、その表情は一息つけた為でホッとしている。

     名雪は放牧地に向けていた視線をゆっくりと自身の左腕に移行させて、腕に巻かれている革ベルトの時計が小刻みに秒針を進めているのを確認。

     シンプルな腕時計をチラリと名雪は一瞥すると軽く背伸びをしつつ、放牧地から回れ右をして家に向かっていく。

     本日の競馬は北海道2歳優駿に出走するウインドバレーと新馬戦のストームブレイカーのレースがあり、名雪がスキップ気味に歩いているのも無理が無い。

     ウインドバレーの重賞制覇のシーンを直に見られるかもしれないのだから。

     そのため、本日のKanonファームには居残りとして秋名が1人で留守番する事になっているが、秋名本人は快く秋子に譲っていた。

     留守番しながらストームブレイカーのレースを見ている、と秋名はハッキリ告げてから断っていたので、不穏な空気は直ぐに消滅。

     初めて重賞制覇出来そうなレースなのに、代理馬主が表彰台に立つのも締まりが無い結果になってしまう可能性になるから断ったのが理由のようだ。

     名雪が家に辿り着くと、数時間後には門別競馬場に向けて出発するので、慌しく名雪は自室のある2階に駆け上がっていく。

 

 

     そして、幾分の時間が過ぎた頃。

     名雪は先程まで着ていたカジュアルな服装――ジーンズとTシャツから淡い蒼色で腰元にリボンがあるワンピースに着替え完了。

     ワンピースの下には首元に僅かなフリルが縫い付けられているTシャツを。

     アクセサリ類は決して身に着けておらず、唯一腕に巻かれている腕時計だけがアクセント。

     リビングに向かうと既に秋子と祐一は着替え終わっており、秋名だけはカジュアルな格好のままで一息の煙草を吸っていた。

 

    「やっぱり、スカート類は慣れないよ……」

 

     ワンピースの裾を皺が出来ないように軽く握って、溜息を深く吐く名雪。

 

    「そんな事無いわよ。似合っているじゃない……ねっ、祐一君」
    「えっ、あ……ああ、似合っているぞ」

 

     しどろもどろになりつつも祐一はキチンと肯定しており、秋名と秋子の表情がニヤニヤと言う擬音が浮かびそうな程、楽しんでいる顔になっていた。

     名雪は蚊が鳴くような声で祐一にお礼を言うが、その本人には聞こえなかったようで、名雪は何でも無いと誤魔化す。

     因みに秋子の服装はややスリットが入った黒のタイトスカートに、白のブラウスで上にはグレーのツイードジャケットを羽織っている。

     極めつけには、いつもの髪型である三つ編みは解かれて結い上げて一纏めにしているため白いうなじがチラリと覗かせていた。

     ほっそりとした適度に筋肉が付いた足には黒いストッキングで包まれており、妖艶さを醸し出している。

     祐一は白いYシャツを着て、首元には蒼いネクタイを緩やかに締めており、嫌そうに顔を顰めていた。

 

    「ネクタイが嫌なんだが外せないのか……」
    「諦めろ。馬主席に入るにはカジュアル系の服装は無理なんだから」

 

     秋名はポンと祐一の頭に手を乗せてから、軽く説得の意味を込めて叩く。

     あまり納得していない表情を覗かせるも、これ以上秋名に叩かれるのが嫌だったようで渋々と了承した。

     その間に秋子は壁に掛かっている時計を見上げると、時刻は正午を少し過ぎた所。

 

    「では、そろそろ行きますね」

 

     秋子はスクッとソファーから立ち上がり、それに倣って名雪と祐一も立ち上がる。

 

    「ああ、新馬戦は録画しておくぞ。それと優勝カップ(土産)を期待しておく」

 

     それは結果次第になりますけどね、と秋子は微笑みながらもウインドバレーの走りに期待している表情であった。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     特になし。