ルリイロノホウセキとミストケープの惨敗は、幸運続きだったKanonファームに皹を入れるような出来事だろう。

     特にルリイロノホウセキが5着から7着に降着してしまった事が、一番残念な問題と言い切れる。

     後にTVで放送されたパトロールフィルムでは急激に斜行した感じは無かったが、確かに後方馬が不利を受けて首を上げているシーンが見受けられた。

     ルリイロノホウセキは外枠からのスタートだったが、道中で内に進入した事で外に出さざるを得ない状況になり、その時に斜行してしまったのが実情。

     福島競馬場の直線が292mしかなく、残り50mの状況で前に壁が出来てしまい、騎手の仕掛けが遅かった事で斜行の憂い目に合ってしまった。

     “If”になるがもうちょっと早く仕掛けていたら斜行する事もなく、勝利が出来なくても掲示板には載っていたかもしれない。

 

    「斜行してしまう様では、騎手の変更を介入しなければなりませんね」

 

     今回のレースも含めて5戦騎乗して貰っていたが、普段は騎乗に関しては口出さない秋子でも、今回に関しては憤慨しているようだ。

     囲まれて惜敗するならまだしも、斜行してしまい掲示板を逃すのは秋子としては見逃せない事態に分類されているのだろう。

 

    「ifだが、斜行していなければ乗せ続けていたのか?」
    「その可能性は高いですね」

 

     なるほど、と秋名は秋子の言い分に関しては否定しないで、受話器を取りルリイロノホウセキを預けている調教師に電話を掛けようとする秋子を見る。

     暫くすると、乗り代わりの意見を言う秋子の尊重はキチンと受理されたようで秋子は受話器を元の位置に戻す。

     調教師にとっては中小馬主でも大手馬主でもスポンサーに変わり無いので、意見を受け入れるのが条例化している。

     断ると、馬を引き上げられたりする事が調教師とっては最も恐ろしい事。

     入厩馬の数が減ると進上金が減り厩務員に給料を払えなくなってしまい、馬の飼い葉などの質が下がり、その連鎖で入厩馬の数が減ってしまう。

 

    「んで、次走の騎手は指名したのか?」
    「していませんよ。現騎手とは違う人とだけは言っておきましたが」

 

     ふむ、と秋名は軽く頬杖を突きながら何かを思考しているようだが、秋子は軽く首を傾げて秋名の事をジッと見つめている。

     もしだぞ、と秋名は前置きを口にしつつ、思った事をゆっくりと吐き出していく。

 

    「祐一が騎手になって斜行とかしたら、勿論降ろすんだよな?」
    「まぁ……わたしの甥でも贔屓して優先して馬を乗せる事は決して無いですし、斜行などを行ったら……降ろしますよ」

 

     秋子は頬に手を当てつつ、いつもの柔和な表情で微笑んでいるが眼は笑っておらず、むしろ氷の様な冷酷さを醸し出していた。

     ――祐一、ご愁傷様。

     ポツリと、秋名は秋子に聞こえないような声量で呟きつつ、自分の妹が垣間見せる冷酷さを久しぶりに味わう秋名だった。

     祐一も実力をつければ秋子の所有する馬に乗れるかもしれないが、1年目で乗れる確率は低そうだ。

     祐一はコネだけは使用しないと思われるが、祐一が所属する厩舎は秋子の温情で馬を入れてくれないと分かったらショックだろう。

 

    「厳しいかもしれませんが、それが祐一君の為になりますから」
    「だろうな……まぁ、その点は秋子に任せる」

 

     秋名は煙草を口に咥えなおしブラブラと口先で煙草を弄びながら、ソファーに深く座りなおす。

     秋子はテーブルの上に置かれている黒く澱んでいるホットコーヒーを上品な格好で飲んでいる。

     白のストッキングに包まれたスラリと伸びた足を軽く組み、一息を吐きながら飲む様子は落ち着いた大人の雰囲気を醸し出していた。

 

 

     場所は変わって、ここはKanonファームにある繁殖牝馬厩舎内部。

     厩舎作業を行うために3人――名雪、祐一と香里がいるのだが、名雪はまだ左腕にギプスを着けたままなので、祐一と香里がメイン状態。

     名雪は主に桶洗いと飼い葉配合を行っており、右腕のみでも出来る仕事を優先的に取り組んでいる。

 

    「名雪、片手でも随分上手いわね」
    「そりゃあ……もう十年近くもしていれば、コツは掴めるよ」

 

     ニコリと、名雪は香里の方に向き合いつつ、それよりもと一言口にする。

 

    「香里が牧場作業を手伝ってくれるとは思わなかったよ」
    「ふん、友人が苦労しているなら、力になるのは当たり前じゃない?」
    「……ありがとね」
    「気にしなくて良いわよ」

 

     早く治療しなさいよ、と言いたげに香里は名雪の元に近づきつつ、痛みが発生しない様に名雪の左肩を優しく撫でる。

     暫く、2人のそうした行動――じゃれ合いが続いていたのだが、祐一がクシャミした事でハッと2人は我に返る。

 

    「誰かが噂したのか?」

 

     鼻を啜りつつ祐一は疑問符を浮かばせながら厩舎作業を再開するが、その噂をしたのは秋子だと露知らずに、もう一度クシャミをしてしまう。

 

 

     戻る      

 

     この話で出た簡潔競馬用語

 

     特になし。