今週は2月になってからの初出走であり、3頭がどれだけ走るかの見極めるとも言えるレース。

     エアフリーダムは京都芝1600mの斑鳩ステークス、エレメントアローは東京芝1800mのアメジストステークス。

     そして、サイレントアサシンは東京芝1400mで行われる甲斐駒特別にそれぞれ出走となった。

     今回はそれぞれの距離適正に合っているので、それなりに善戦するかと思われているのか競馬新聞の印はおざなりに打たれている。

     因みにこの3頭の中で最も人気があるのはエアフリーダムであり、前走の5着が評価されたのだろう。

     逆に人気が無いのはサイレントアサシンとなっているが、前走と前々走の結果からすると納得と言える程の低人気。

     ただ、見る目がある競馬記者は“注”の印を1つだけ打っており、人気薄時の激走が分かっているようだ。

 

    「1つは勝って欲しいですね」
    「そうだな……名雪ちゃんの入院代くらいは稼いで欲しいな」

 

     ニヤリと、秋名は口端を吊り上げつつ企み顔になっているのだが、秋子は咎める事も無く同意している。

     鬼かもしれないが、日本競馬の賞金は世界1位と謳われるくらい潤沢なレース賞金があり、出走手当てだけでかなりの額が支給される。

     なので、日本競馬の馬主はキチンと走る馬さえ、毎年発掘が出来れば破産する事無く安定した賞金を得るだろう。

     勿論、馬主になってからの方が飛んでいく資金の方が多いのが事実であり、如何にリスクを抑えるかが馬主の手腕として最も必要な事。

     秋子の手腕はそれなりに発揮しており、大赤字は出していないが時々小規模の赤字を出すくらい。

     黒字になる月間数は1年のうち4回程で、まずまずの収入を得ている事になるだろう。

     閑話休題。

     それにしても、と秋子は一言呟きつつ目尻を下げて窓の外から見える牧場風景で働いている人物のシルエットを見やる。

     そのシルエットは女性特有のややウェーブ状のロングヘアを揺らしながら、手馴れない動きで牧場作業を行っている様子が窺えた。

 

    「香里ちゃんが手伝ってくれるとは思わなかったですね」
    「どっちかと言うと、牧場作業を行うよりも秘書の方が似合っているな」

 

     香里の手馴れない様子を見て秋名は怒っている訳でもなく、実に楽しげな物を見つけた子供のような表情になってニヤニヤしている。

     家の中からでは祐一がなんて言って香里に指示しているかは殆ど聞こえないので、身振り手振りで想像するしかない。

     何か言い争いをしている様子が窺えるが、秋子と秋名は子供の喧嘩には口を出す気は無いのか微笑ましそうに眺めている。

 

    「おっ、香里ちゃんが切れたな」

 

     香里は思いっきり、農具で使用される三つ又状のフォークを地面に叩き付けるが、雪に拒まれて雪の中に埋もれるだけ。

     そして、良くスナップが効いたビンタが祐一に放たれてしまい、ぶたれた本人は情けなく口を開けたままだったが、徐々に怒りが頭に上ってきたようだ。

     祐一は自分の手は出さなかったが、しゃがみ込んでから思いっきり握り固めた雪玉を香里に目掛けて投げつけた。

     見事に香里の眉間にヒットした雪玉はパラパラと音を立てて、小さな欠片となって地面の上に舞い落ちる。

 

    「秋子、止めて来た方が良いぞ。1回ずつでおあいこになったしな」
    「そうですね……じゃあ、ちょっと止めてきます」

 

     パタパタとスリッパの音を立てながら、秋子はあまり心配そうな表情をしていないが内心は焦っているのか実に早足で玄関に向かって行った。

     数分後、秋子が連れ戻してきた時には3人とも所々に雪を被ってしまい、髪や上着が水分を含んでいた状態になっている。

     秋子は止める時にどちらかが投げた雪球がヒットしてしまった事が伺える事態。

 

    「まぁ……喧嘩の状況は祐一の教え方が高圧的で、癪に触った香里ちゃんが怒ったんだろう?」
    「……そうだけど」
    「悪いのは祐一だから、さっさと謝っておけよ」

 

     ポンポン、と祐一の頭を軽く叩きながら、秋名の視線は香里に向けられており簡潔な言葉だけを香里の耳元で呟いた。

     道具だけは大切に使用してくれ、と呟いた途端、香里は肩を震わせて涙声になりつつもキチンと謝り、秋名に優しく頭を撫でられた事を記しておく。

 

 

     そして、数分後。

     香里は雪で濡れた服の代わりに、この場におらず入院している名雪の服を借りて着込んでいた。

     未だに険悪っぽい状況の祐一と香里だが間に秋子と秋名がいるため、これ以上状況が悪くなりそうもない状態。

     二人の目の前にはジュース類ではなく、湯気をゆらゆらと立てているホットミルクが置かれていた。

     そして、秋子と秋名は何も言わないままTVを付けて、競馬番組にチャンネルを合わせる。

     既に出走レースは終わっていたようだが結果表示を見て、香里を除く3人が歓喜の声を震わせている。

 

    「えっと、勝ったんですか?」

 

     おずおず、と香里は中に割り込んで質問を行うと、その返答は笑顔を隠しきれない秋子が答える。

 

    「ええ、3レースに出走させた3頭とも勝利したのよ」

 

     上擦った声を抑えきれないくらい秋子の感情は高揚しており、香里は何かを感じ取ったのかその様子を眺め続けていた。

     結局、祐一と香里の喧嘩はこの3レースの勝利によって有耶無耶な事になり、香里が帰宅する頃にはいつも通りの仲に戻っていた。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     特に無し。