フラワーロックの仔馬――フラワーロックの89を預かりたいと言う調教師が訪れていた。

     壮年と言える風体をしており、秋子の目の前に座っている調教師は前年度関東リーティング調教師23位と順風に成績を上げていた。

     重賞勝ちは地方交流戦のかきつばた賞などを制しているが、中央重賞は未だに手が届いていない。

     久瀬調教師よりも累積成績はかなり多く、ベテランらしい手法で管理馬を仕上げる定評を持つ。

     勿論、秋子が馬主になった時間よりも遥かに多くの調教師なので、実力は認められる人物。

     大手牧場からの入厩馬支援が無い状態での成績であり、中小牧場を巡っては良い馬を掘り当てる事が多いらしい。

     この調教師――菊池調教師の相馬眼が捉えたのがフラワーロックの89らしく秋子は恐縮してしまっていた。

 

    「うちの馬で良いんですか?」

 

     どれくらい走るかが分からない時点で、調教師が預かりたいと言われても湧き出てくる感情は不安と歓喜が交じり合った状態。

     調教師は豪快に笑いつつ秋子を安心させるために、大丈夫ですよ、と簡潔な一言を述べる。

 

    「では……預けさせてもらって良いですか?」

 

     本来ならジックリと考えた方が好ましいのだが、迷っていては幸運を見逃す事になってしまうと秋子は考えたようだ。

 

    「ええ、承りましょう」

 

     秋子が差し出してきた右手を菊池調教師はガッチリと握り、これでフラワーロックの89の入厩先が決定した時だった。

     最後に調教師は別の牧場に向かう前に一言、秋子に質問を行う。

 

    「フラワーロックの89の馬名は決まっているのですか?」
    「第一希望だけですが、ウインドバレーを予定しています」

 

     なるほど、と菊池調教師はウインドバレーと口の中で反復しつつ、車に向かい、軽く手を振りつつエンジンを始動させた。

     秋子はシルバーの塗装がなされているレンタカーが見えなくなるまで、お辞儀を続けていた。

 

 

     リビングに戻ると、調教師に出していたお茶菓子に秋名、名雪と祐一が手を付けて食べていた。

     まったく手を付けていない物を捨てるのは勿体無いので、秋子は溜息を吐きつつ、加わってちょっとしたティータイムが開催された。

     秋子はキッチンに向かい、新しくコーヒーを作りなおしつつ自分の分と秋名の分を用意して、リビングに戻る。

     名雪と祐一はいつの間に自分の分を用意して、飲んでいるので準備する必要はなかったが。

     名雪はテーブルの上に置かれている菊池調教師の名刺を手に取り、軽くチェックをしていたが興味を無くしたようで祐一に手渡す。

     祐一も暫らく、眺めていると興味を失せたのか、秋名に手渡してからオレンジジュースが注がれたコップに手を伸ばす。

 

    「あまり知らない調教師だな」
    「そうですか? それなりに勝利している筈ですが」

 

     私の中ではマイナーだな、と言い切ってから秋名は淹れ立てのコーヒーを口に付ける。

     秋子は名雪と祐一の方を向き、視線で知っているか問いかけてみるが二人の返答は首を横に数回振ることだった。

 

 

     本日はミストケープが未勝利戦に出走する。

     前走は京都芝2000に出走して、16頭中5着とそれなりの着順であり勝ち馬から0.2秒差だった。

     そのため、本日は必勝態勢を整えており小倉芝2000で牝馬限定戦のレースに出走。

     人気は前走が2着だった馬に奪われているが、差はそれ程無いオッズとなっているので2頭の争いになっている。

     最終的にオッズの差は同率になり、3番手以降の馬が虎視眈々と勝利を奪う事を騎手が考えているだろう。

     ゲート入りは全頭が順調に行われ、最後に大外枠のミストケープが入ってスタート。

     スタンド正面からのスタートなので観客の絶叫に反応しないように、徐々に内に進出していく。

     第一コーナーの前で5、6番手をキープしつつ、やや内よりの馬場を選択し、駆けていくミストケープ。

     コーナーを回った所で、TV画面の上部には横長にスライドされたレースが表示されている。

 

    「スローペースですね」

 

     馬群が団子状態になっている訳ではなく、やや縦長になっている。

     平均ペースに近いので、現状ではミストケープの位置取りは問題ない。

     向こう正面を過ぎ、第三コーナーとまったくペースが変わらなかったが、最後で急激に動き出す。

     スルスルと、4番手に位置取りを上昇したミストケープは先頭争いを行っている3頭の壁に囲まれてしまっている。

     ここで下げると交わせない可能性もあり、横にも居るので脱出不可能。

     先頭争いを行っている3頭の馬のうち、1頭がズルズルと下がった時点で避けるように仕掛けたが、タイミングが悪く3着が精一杯だった。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     特になし。