人々のざわめき、新聞の擦れる音とカメラのシャッター音が響き、パドックは一気に雰囲気が変貌する。

     カツカツ、とアルミ製の蹄鉄を履いた蹄を打ち鳴らしながら1頭ずつ、パドック入場が行われていく。

     そして1枠1番の馬から順番に馬名と前走比の馬体重がアナウンサーによって読み上げられていく。

 

    「1枠2番アイネスフウジン、現在は単勝2.5倍。1番人気です」

 

     黒鹿毛で漆黒に近く毛色が陽光によって黒光りしており、威圧感のある馬体が輝いている。

     アナウンサーと解説者の会話では太鼓判が押されて、踏み込みが良いなどのポイントが上げられる。

     どんどんと馬名を読み上げられて、遂にサウンドワールドの番がやって来た。

    「5枠9番サウンドワールド。馬体重は前走比から-4kgの462kgです。単勝は25.7倍の9番人気」

     秋名達3人はパドックから一番馬が見やすい場所――馬主専用の席から様子を眺めて様子をチェック。

     前走より馬体は絞れて好調期のピークには適した状態のようだが、上位人気馬に比べると見劣りしてしまう部分が浮かび上がる。

 

    「何か……厳しいと思う」

 

     うーん、と顎に手を添えながら、ジッとサウンドワールドの馬体と上位人気馬の1頭と比べていた名雪がボソッと呟く。

     どの馬と比べていた、と秋名の質問に対して名雪はスッと人差し指を3番人気の馬――ハクタイセイを示す。

     ハクタイセイは父ハイセイコーであり、毛色はサウンドワールドと同様に、くすんだ芦毛。

     なので、最もサウンドワールドの比較対象と言える。

 

    「うーん……どこがそう見えるか分からん」

 

     祐一は首を傾げつつ、名雪の言う通りに馬体を見比べてみるが馬体に浮かび上がっている黒い斑点くらいしか差が分からない。

     秋名も眼を細めて、ジッと見比べているが祐一と同様に首を傾げてしまいお手上げといった所。

 

    「ほら、トモの踏み込みが全然違うよ」
    「いや……全然分からんのだが」

 

     秋名と祐一はお互いに顔を見合わせて、もう一度見比べてみるがどうしても判断が付けられない。

     ひそひそ、と祐一は秋名にしゃがんで貰って耳打ちをしており、名雪は何を言われているかを気にせずパドックの様子を見ている。

     その間に、競馬協会職員がとまーれ、と呼びかけてから騎乗レース名を告げてからそれぞれの騎手が騎乗馬に赴く。

     サイクロンウェーブの騎手はデビュー戦から騎乗している宮嶋騎手。

     重賞はそこそこ勝利しているのだが、未だにGⅠが手に届かない中堅騎手であり、ここで掴みたいという心境かもしれない。

     全頭がパドックを回り終えて、地下道から本馬場へと向かって行く。

 

    「秋名さん、そろそろ馬主席に戻らないと」
    「そうだな。返し馬でも調子が分かるしな」

 

     カツカツ、とヒールの靴底音を立てながら秋名は先導して馬主席に向かって行き名雪と祐一は、はぐれない様に着いて行く。

 

 

     観客の絶叫が馬主席まで轟かせており、ビリビリとガラスを響かせていた。

     まだ少し肌寒い時期だが熱気だけは、体感的に夏の温度に近い物を感じさせる。

 

    「人気は低いがスプリングS3着の結果なら、ここでは1着でも不思議ではないサウンドワールド、4戦2勝」

 

     アナウンサーの放送によって、本馬場入場を果たしたサウンドワールドだが実に落ち着いており好走しそうな雰囲気。

 

    「何か、ドキドキするなぁ」
    「祐一も? わたしもドキドキしているけどワクワク感の方が強いかな」

 

     お互いに顔を見合わせてから、フッと軽く笑い出して座っているソファーから足を投げ出してブラブラと揺する。

     しばらくすると、生演奏のファンファーレが鳴り響き、大半の観客が演奏に合わせて丸めた新聞を叩きながら手拍子を行う。

 

    「さあ、牡馬クラシック1冠――皐月賞のスタートです」

 

     ガシャン、とゲート音を立てて一斉に各馬が飛び出す。

     出遅れた馬は1頭もおらず、淡々としたレースの動きで進むようで、上位人気馬は自分のペースを保っている。

     だが、アイネスフウジンは逃げ馬なのでペースを作りこんで逃げ切る目論見。

     サウンドワールドは現在8番手辺り――即ち、騎手がハイペースだと思考したのか寒竹賞を勝った時のような位置取り。

     アナウンサーは先頭から最後方の馬の馬名を読んでから、もう一度先頭に戻しペースを口にする。

 

    「1000mの通過タイムは59.3とハイペースです」

 

     先頭から最後方までの差は15馬身付近を保っており、後方馬がいつ詰めてくるかで展開がガラリと変貌する。

     向こう正面を過ぎ、勝負所の3コーナーから4コーナーに掛けて、後方馬が少しずつ差を詰めて来た。

     そして直線。

     サウンドワールドは仕掛けられているが、ジリジリとしか脚を伸ばしておらず、とてもではないが追い付ける状況ではない。

     アイネスフウジンもハイペースが祟って、脚が鈍くなっているがまだ余力があるのか競り合いの状態でも引けを取らない。

     残り100m。

     メジロライアンが伸びてきているが、ジリ脚っぽくアイネスフウジンには届きそうも無い。

     残り50m。

     ハクタイセイが芦毛の馬体を輝かせながら、アイネスフウジンを飲み込む勢いで強襲して首差を凌いだ所がゴールだった。

     因みにサウンドワールドは18頭中8着と、人気を1つだけ上回るだけだった。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     注1:ハクタイセイ……芦毛のハイセイコー馬で、未勝利から皐月賞まで6連勝を達成。