二人は帰宅するまでの道中も、牧場に戻ってからも一切の会話をしなかった。

     馬を厩舎に戻す時も、馬は手綱を通して人の気持ちを感じる事があるので嘶きもしないで大人しく従う。

     名雪と祐一も二人の様子がウインズに行く前の表情と雰囲気が違うので、子供らしく不思議がっている。

     そして、夕食の時まで二人が原因で水瀬家での賑やかが消え去っていた。

     ガタン、と秋名が勢い良く立ち上がるので、椅子が一瞬だけ振り子のようにゆらゆらと揺れてから倒れる。

     ギョッ、とした表情で倒れた木製の椅子に注目を注ぐ祐一と名雪だが、秋子は気にもせず食事を続ける。

     プイッという擬音が聞こえそうなそうなほど、秋名はそっぽ向いて食器を片付けるために台所に向かう。

     秋子は目を瞑ったまま、サラダを食べているので子供の二人はおろおろと様子を伺うだけ。

 

    「なんか、嫌な状態だよ」

 

     祐一もコクコクと力強く頷いて同意するが、名雪みたく口を出せないのは女性の怖さを初めて経験するからだろ。

 

    「祐一、騎手になってみないか?」

 

     秋名は子供用の椅子に座っている祐一の視線までしゃがみ込んでから、質問をしてみる。

     ふぇ、と食べ物を口に詰め込んでいたため変な呟きをしながら、祐一は秋名の方を向いて首を傾げる。

     そして、騎手という言葉を反復して呟くが、まるで意味は分からないのかもう一度秋名を見て、首を傾げる。

 

    「まぁ……簡単に言えば馬に乗って働く仕事と言えば良いか」

 

     ふーん、と言いながら祐一の目は輝いており、馬に乗れる仕事がある事を知らなかったのだろう。

 

    「どうだ? なってみたいか?」
    「うんっ」

 

     大きく祐一は頷いて、秋名はニヤリと口端を吊り上げて秋子の顔を見据える。

     秋子は焦燥感を滲ませた表情で秋名を睨み返すが、祐一は自分の子供では無いし甥っ子なので、あまり口は出せない。

     もし、秋名が名雪を騎手にすると言われたら秋子は烈火の如く怒り出して、どんな事があっても騎手にさせないだろう。

     秋名はその事が分かっていたので、祐一を騎手にさせると言ったと思われる。

 

 

     二人は自分の子を寝かしつけると、リビングに戻る。

     リビングには秋子が既に、ウィスキーをロックで飲んでいた。

     カラカラ、と氷がコップの縁に当たって静かな音を立てる。

     秋名は何も言わずに、そっと秋子の対面に位置する青いソファーに腰を掛ける。

     秋子は秋名が飲む事が分かっていたように、サッと何も言わずに作って渡す。

     秋名も何も言わずに秋子が作ったウィスキーに口を付けて、胸ポケットに仕舞い込んでいる煙草を取り出す。

     ジッポライターの火は、ボッと一瞬だけ光を点して消える。

     もう一度、室内は僅かな闇に覆われる。

     唯一の光源は、廊下に点けっぱなしの電灯がガラス張りのドアから洩れている。

     そのため、二人は対面に座る相手の顔は見えているだろう。

 

    「本当に……祐一君を騎手にするんですか?」
    「祐一がなりたい、と言ったのを聞いただろ」
    「それは姉さんが誘導したんじゃないですか!!」

 

     バンッ、と勢い良くテーブルに叩きながら秋子は立ち上がる。

     ウィスキーは振動によって、ビンとグラスの中でユラユラと揺れ続けていた。

     秋名は自分のウィスキーグラスだけはキチンと持って、ちゃっかりと零れるのを回避している。

     咥えていた煙草を左手の人差し指と中指で摘んで、ウィスキーを呷る秋名。

     ふぅ、と一息吐いてもう一度煙草を咥えなおす。

     暫く秋名は紫煙を吐き出しながら視線を宙に彷徨わせていたが、ゆっくりと口を開く。

 

    「突然祐一が騎手になりたいと言われた時の方が私はキツイぞ」
    「……でも」

 

     それに、と秋子の何かを言いたげなのを秋名は遮り、続けて喋る。

 

    「うちの血筋だと、何かしら競馬関係の仕事に就きそうだぞ?」

 

     それを言われると秋子は何も言えなくなり、その事は自分の経緯を振り返れば分かるものだった。

     秋名と秋子の祖父も一時だが他所の牧場で働いていた経緯があり、父に至ってはご存知のように牧場を築き上げている。

     祖父は他所の牧場では場長兼獣医だったらしく、二人は良く馬の事を父よりも多くの事を教えてもらっていた。

     だが、子供の頃に教えてもらっていた事なので、ほぼ忘却の彼方に消え去っているが。

 

    「……そうですね」

 

     ふぅ、深く吐息を吐いて秋子は納得するしかなかった。

     先ほどまで怒っていた事は四散して、今は冷静にこれからの事を見直す方に着眼を向ける。

 

    「わたしとしては祐一君と名雪は普通に暮らしてもらいのですが……無理でしょうね」

 

     秋名も、こればかりは分からない、と言いながら首をゆっくりと左右に振る。

     祐一は嬉々として、やりたいと言ったのでモチベーションが長く続くかが問題だろう。

     名雪は普通の道を進むのか競馬関係の道を進むかは二人には分からない。

     名雪にとっては父親――祐馬が死んだのは競馬が原因なのだから、競馬の事は嫌いになっても良い筈。

     けれど、名雪は馬を嫌いになる事はなかった。

     祐馬が居ない時、いつも傍に居てくれていたのが秋子と馬なのだから。

 

    「……取り敢えず、飲み直すか?」
    「明日に差し支えない程度までですよ、姉さん」

 

     カチン、と小気味良くグラス同士でぶつけ合った後に二人はグラスを高く掲げた。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     特に無し。