秋子は一人の客――倉田 隆道を迎えており、コポコポと急須にお茶を注ぐ。

     お盆に急須と湯呑み、和菓子を乗せて和室に待たせている隆道の元に向かう。

     和室には隆道が正座をして座っているので、楽にしていいですよ、と微笑みながら秋子は言う。

     コトリ、と落ち着いた配色の湯呑みにお茶を注ぎ、和菓子と一緒に隆道の前に差し出す。

     どうも、と隆道は小さく会釈をする。

     秋子は対面の座布団に腰を下ろして、ジッと隆道の全身を万遍なく見てみる。

     30代前半に近い容姿と思われ、亜麻色の髪を軽くオールバック状にしていた。

     ただ、頬は気苦労が多いのかやつれている様に感じるが、目つきだけは強い意志を持ち得ているのが分かる。

     ギラギラ、と意志の強さは有名になる事が感じ取れた。

 

    「目標はどの辺ですか?」
    「そうですね……一番の目標はダービーですね」

 

     一緒ですね、と秋子は言おうとするが隆道はさらに口を動かして、続きを繋ぐ。

 

    「あ、ダービーと言っても海外です。特にケンタッキー、イギリスですね」

 

     かなり壮大な物語だが、この事を他の馬主話すと一笑される事もあるだろう。

     だが、秋子は笑わない。

     日本の馬主としては誰だって、海外に挑戦させるのは辟易するのが現実。

     隆道は今まで日本馬の海外遠征の実績を知っているのかは、不明だが夢を語る少年のように目を輝かせていた。

     さっきとはまったく表情に違いが出ており、今の表情が普段通りなのだろう。

 

    「壮大な夢ですね」
    「まぁ、あまり他人には言いたくない夢ですよ」

 

     水瀬さんの目標は、と隆道は問う。

     秋子は祐馬が亡くなった事を語り、その目標として現状は日本ダービー以外は考えられないと告げる。

 

    「同名だと思っていましたが、旦那さんだったんですね。お悔やみ申し上げます」
    「……ありがとうございます。だから、わたしはダービーが目標なんですよ」

 

     隆道はやや冷めたお茶を口にして、お互い大変ですねと呟く。

     秋子も同意して、自分のお茶を口につけるが味はいつもより苦く感じた。

     競馬以外の話題も会話したが、あまり長持ちしなかったようだ。

 

    「さて、そろそろ……次の牧場に行く予定なので」
    「そうですか、では次は競馬場で合えると良いですね」

 

     秋子は外まで見送る。

     外には見慣れない一人の少女が、祐一と名雪と共に遊んでいた。

     遊んでいると言っても、放牧地には入っていないし馬が驚くほどの騒音で叫んでいる訳ではないので秋子はホッとする。

     3人の傍には秋名が見守っていたので、無茶は出来なかったようだ。

     隆道が外に出てくるのを気付いたのか少女はトコトコ、と走って来る。

     ポスッと隆道の足に抱きついてから、ジッと秋子の足元から顔まで見上げる。

 

    「……こんにちは」

 

     秋子はしゃがんで、少女と同じ視線の高さになってからニコリと微笑んでから挨拶をする。

     すると、少女は純粋の笑顔を秋子に向ける。

 

    「初めまして、倉田 佐祐理と言います」
    「ふふっ、初めまして佐祐理ちゃん」

 

     秋子は自分の名前を分かりやすく教える。

     秋子も微笑んで、少女の頭を撫でるが嫌がる素振りを見せず、くすぐったそうに身をよじる。

 

    「しっかりしている子ですね」
    「ははっ……ちょっと、しっかりしすぎていると言うか」

 

     佐祐理は自分の事を言われていると思っていないのか、首を傾げて隆道と秋子を順番に見回している。

     お抱えの運転手はドアを開けて、隆道と佐祐理が車内に入るのを待っているので二人は挨拶を済ませてから車に乗る。

 

    「では、そのうち競馬場でお会いしましょう」

 

     そうですね、と秋子は頷いてから車から離れる。

     祐一と名雪も佐祐理に向かって、手をブンブンと振っており、秋名が轢かれないように車から離す。

     車はゆっくりと動き出して、牧場地を抜けると速度を上げて行くのが見え、祐一と名雪は見えなくなるまで手を振っていた。

 

 

 

 

    「どんな人物だった?」

 

     夜飼いを与え、一日の作業が終わったので秋名は一日の疲れを放つためタバコを咥えながら秋子に隆道の評価を聞く。

     既に祐一と名雪は寝床で眠っているので、起きているのは秋子と秋名だけ。

     そうですね、と前置きしながら秋子はどのような人物か語っていく。

     ふんふん、と秋名はタバコを咥えながら頬杖をつきながら相槌をするが、秋子は溜息を吐くだけで、続きを語る。

 

    「意志が強くて、夢を語る時に子供見たく眼を輝かせる……か」

 

     いつまで持つかな、と秋名は呟いて秋子も同調するように沈黙してしまう。

     隆道の語った海外の夢はそれほど険しくて、厳しく、辛く、儚い事であるのは競馬関係者なら誰でも知っている。

 

    「まぁ、いつかうちが海外遠征する時までに勝って、道を開いて貰えば良いさ」

 

     そういって、秋名は秋子の肩を叩いてから寝室に向かって行った。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     注1:ケンタッキーダービー……アメリカクラシックの1冠目のレース。
        ダート2000mで行われて、3冠レースは2ヶ月ほどで終わるサバイバルレースである。