秋子はありがと、と気付かせて貰った事を祐一にお礼言って流れていた涙を拭う。

     祐一は何故、お礼を言われたのか分からないので首を傾げていた。

     ふふっ、秋子は微笑んでいるが久しぶりにこうして笑っている感覚を取り戻す。

     さて、と秋子は立ち上がり自分の服装を確認する。

     昨日からまったく上着と下着も変えていないので汗で不愉快感が今更、出ており、一睡もしていないので眼の下に隈が出来ている。

     はぁ、と秋子は溜息を吐いて不謹慎だがシャワーを浴びる事考える。

 

    「祐一君はお母さんの所に戻って良いよ」

 

     うーん、とちょっとだけ祐一は考えてトコトコと歩いて部屋から出て行った。

     扉の前では子供らしく無邪気な笑顔を浮かべて。

 

    「姉さんと名雪に謝らないと」

 

     自分だけが無気力に陥っていたので、この事に関しては謝るのが筋だろう。

     と、その前に喪服に着替えるのが先であった。

 

 

     リビングに行くと、秋名は目を見開いて秋子の姿を確認すると立ち上がって廊下に移動する。

     膝の上に座っていた祐一を床に下ろすが、ぶぅたれてしまったので秋名の旦那が宥めている。

     そして、二人はお互いに沈黙したまま秋子の自室に移動をした。

     入室すると秋名は秋子が使用している青い布団が掛かっているベッドに腰掛ける。

     秋名は足を優雅に組んで、秋子は床に少し崩した形の正座で座る。

     胸ポケットから秋名はタバコを取り出して吸おうとするが、ここには灰皿が無かったので諦めた。

 

    「んで、どうするんだ? 続けるのか続けないのかどっちだ?」
    「祐馬さんがわたしの馬が好きだと言ってくれていたし、続けたいと思う」

 

     秋名は火の着いていないタバコを銜えながら、ジッと秋子の目を見続ける。

     暫くして何も言わずに立ち上がる秋名。

     長い間一緒に行動していた方が多いので、お互いに何も言わなくても伝わっていた。

 

    「あっ、ちゃんと名雪ちゃんに謝れよ」

 

     最後に釘を刺して、部屋から出ようとすると廊下にちょこんと名雪が座っていた。

     名雪は何も言わずに、トテトテと走って秋子の脚に抱きつく。

     秋名はそれだけを確認するとひらひらと手を振ってリビングに戻っていった。

 

    「お母さん、もう大丈夫?」

 

     ギュッ、と名雪は秋子の脚に顔をうずめて泣きそうな声で秋子の心配をしている。

     大丈夫よ、と呟いて秋子はしゃがみ込んでギュッと名雪を抱きしめた。

     名雪は大声で泣き叫び顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。

     ごめんね、と秋子は謝りながら涙を流す。

 

 

     二人は目を真っ赤に充血させており、ウサギのように赤い目になっていた。

 

    「ごめんね名雪。不安だったでしょう?」

 

     名雪は首を振り、おばさんや祐一と馬が居たから平気と言う。

 

    「それにお母さんの方が大変だったって分かるよ」

 

     秋子は何も言わずに名雪を抱きしめた。

     暫く、抱きしめたままだったが、秋子は立ち上がって名雪にスッと手を差し出す。

     名雪は秋子の温もりのある手を掴んで、リビングに向かって一緒に歩き出た。

     棺前まで来ると秋子は全身を震わせているが、それでも一歩ずつ近づいていく。

     確かにその棺には祐馬の遺体が収められていたが、秋子は涙を流す事無く、現実を見据える。

     祐馬の表情は今でも馬に乗っている時のようで、暫くしたら目を覚ましそうであった。

     秋子は暫くすると棺の蓋を閉めて、優しさと強さを瞳に映し出した。

 

    「姉さん、牧場経営を手伝ってくれませんか? 祐馬さんのために東京優駿を勝ちたいので」

 

     秋子は敢えて日本ダービーとは言わずに、東京優駿ともう一つの名称で言う。

     顎に手を添えて、僅かに目を閉じて秋子の事を手伝うか考える秋名。

     数分か数秒だが、秋名としては長い間考えていた感覚があったようだ。

 

    「……分かった。久しぶりに牧場で働くか」

 

     高校卒業した次の日から東京で一人暮らしを決行してから8年程が経っていたので秋名の中ではスランプもあるだろう。

     ガシガシ、と秋名は肩まで伸ばした髪を弄りつつ、明日は早起きが辛いなとぼやいた。

 

    「おばさん、ふぁいとだよ」

 

     うっ、言葉を詰まらせて秋名は名雪に言われた事がよっぽどショックだったのだろう。

 

    「やれやれ、引っ越しか」

 

     秋名は旦那に相談をせず、引越しする事を決め付けてしまうが、旦那は東京で仕事がある。

     だが、相沢家の決め事は秋名が決めており、この時代では珍しく女性主権の家族であったが祐一も旦那も慣れている。

 

    「と、言うわけだから単身で頑張ってくれ」

 

     ポン、と肩を叩かれた旦那はがっくりと肩を落としていつもの様に拒否権が無い事を思い知る。

     その行動を見て、祐馬と旦那を除いた水瀬家の二人と相沢家の二人が大笑いしていた。

     この日常がこれからは毎日続くように願いながら、秋子は涙が出るほど笑い続けた。

 

 

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     この話で出た簡潔競馬用語

 

     今回は特に無し。