Kanonファームは静かなまま、時が過ぎていた。

　　　　　祐馬が落馬で亡くなったダービーの時から１日が経っており、葬式のため多数の競馬関係者が訪れている。

　　　　　かなりの数が訪れているので、祐馬の人柄によって来た人が多いのだろう。

　　　　　競馬協会の理事も訪れており、再発防止に心がけると言っていた。

　　　　　そして、レース用のヘルメットの改善も行うと。

　　　　　今使用しているのがけして脆弱という訳ではなく、改良を行うという事だ。

　　　　　落馬自体が死に作用したが、実際のところは後続から来た馬に頭を蹴られた事が致命傷であった。

　　　　　勿論、ジョッキー達は避けようとしていたが集団になっていたので、全員がキチンと避けれたわけではない。

　　　　　ただ、優勝したシンボリルドルフを含めて上位馬は不利を何も問題無く交わしていた。

 

 

　　　　　秋子はショックを受けており、昨日からベッドに座ったまま涙を流す事を無く、何も映さない眼で虚空を眺めていた。

　　　　　時折、何かを呟いているが今秋子がいる部屋には自分以外誰もいないので聞いている人はいなかった。

　　　　　逆に名雪は気丈に耐えており、今朝も馬の世話を行っていた。

　　　　　厩舎では泣いていたようだが、誰もその事は指摘出来なかったという方が正しい。

　　　　　葬式の仕切りは急遽、東京から北海道に飛んできた秋名が代わりに行っている。

　　　　　ふぅ、と秋名は一段落したので小さく溜息を吐いて、秋子の自室に向かう。

　　　　　コンコンと生易しいノックではなく、ガンガンと乱暴に叩いており秋名の拳は赤くなっていた。

　　　　　声も荒げており、秋子が心配だからこその行為なので秋名の旦那は咎めようとしない。

 

　　　　「名雪ちゃんだって耐えているのに、あんたはそれで良いの！？」

 

　　　　　返事は無い。

　　　　　だが、秋名はこの声が秋子の下に届いていると信じて何度もノックする。

 

　　　　「あの事は嘘だったのか？　名雪ちゃんまで巻き込んでやるって言ったのは」

 

　　　　　秋名はこのまま秋子が駄目になっていくような気がしたので、それだけは絶対に止めなくてはならなかった。

　　　　　暫く、秋名は秋子の答えが返ってくるまで待っていたが訪問者が再び、増えてきたので一度離れる。

　　　　　その時、寂しげな表情で秋名は秋子の自室の方を振り返った。

 

 

　　　　　葬式に来た人達は、祐馬の同期である人物が二人しんみりとした表情でやって来た。

　　　　　一人はこの男性社会が強い世界では第一人者となる女性ジョッキーであり、芯の強そうな眼を持つが、普段だったら表情は和らげだろう。

　　　　　もう一人の男性はやや赤みが掛かっている髪が特徴であり、豪快な性格として知られている地方ジョッキーであった。

 

　　　　「この度は、ご愁傷様です」

 

　　　　　女性ジョッキーの音薙　皐月が頭を下げると、一緒に来た地方ジョッキーの天野　敬治も慌てて頭を下げている。

　　　　　二人は焼香をし終わると重苦しい空気が苦手なのか、調教師達に挨拶をして外にいる馬の元へ向かって行った。

　　　　　そこには祐一が暇そうに馬を追い掛け回しており、二人はこの場所で唯一笑えると思えたようだ。

　　　　　昨日まで振っていた雨によってドロドロになっている放牧地で転んだのか、祐一の服と顔は黒くなっていた。

　　　　　だが、そんな事は気にしないで相変わらず馬を追いかけていた。

　　　　　祐一は二人の視線に気付いたのか、馬を追い掛け回すのを止めてトコトコ、と二人に近づく。

 

　　　　「おばさんとおじさん、誰？」

 

　　　　　二人は顔を見合わせた後にがっかりと肩を落としており、音薙騎手に至っては青筋を浮かべていた。

　　　　　どうどう、と馬を落ち着かせる手腕で皐月を落ち着かせようとするが逆に睨まれた敬治は視線を逸らした。

 

　　　　「んで、君は何をやってるの？」
　　　　「馬に乗りたいんだけど、逃げちゃうんだよ」

 

　　　　　手綱と鞍も乗っていない状態なので、乗せるのはかなり危険だろ。

　　　　　騎手ですら走っている裸馬に乗るのは難しいので、二人は祐一に騎乗する事を止めさせた。

　　　　　むぅ、と頬を膨らませているのは５歳児らしく見えるが、二人は子供を落馬させる訳はいかなかった。

 

 

　　　　　祐一は馬に乗れないことが分かると、ぶぅたれながら家に戻って秋名を捜す。

　　　　　だが、秋名の元では深刻そうな話に発展しており、祐一には難しい事が多いのでサッと離脱した。

　　　　　暇そうに欠伸をしながら水瀬家を探索する祐一。

　　　　　一箇所だけ、前回来たときには入れなかった部屋なので祐一は忍び込むようにこっそりと入室。

　　　　　けれど、そこに居たのは秋子なので祐一は怒られるような気がしたので、泣きそうな表情になる。

　　　　　いつまで経っても雷は落ちてこないので、祐一は恐る恐る目を開ける。

 

　　　　「祐一君、何の用？」

 

　　　　　祐一は、咄嗟に馬に乗りたいと言う。

 

　　　　「……なんで？」
　　　　「だって、速いしカッコいいし、秋子さんの馬が好きだから」

 

　　　　　Kanonファーム――前、楠木牧場では育成面は秋子が行っていたので、走らない馬でもいつもピカピカであった。

　　　　　だが、こうして虚空を眺めていても馬は綺麗じゃなくなり速くならない。

　　　　　秋子は虚空を映していた眼から涙が流れるのを感じた。

　　　　　ありがと、と呟いて秋子は流れないと思っていた涙を祐一の目の前で流した。

　　　　　祐一が最後に言った言葉は祐馬がいつも、同じ事を言っていた事であり秋子の涙腺に触れたのだから。

 

 

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　　　　　この話で出た簡潔競馬用語

 

　　　　　今回は特に無し。