風景が瞬く間に一瞬で変わって行く。
     窓から見える風景は様々な物を写して、後方へ消えて行く。
     僅かに振動する椅子に背を預けながら流れる風景を見つめる。

 

    「一時帰京か」

 

     相沢 祐一はふと、その帰京する経緯を思い出していた。

 

     

 

      じわじわと肌に陽射しが突き刺す。
     それでもこの町は夏の間は涼しい部類に入るくらいの暑さだった。
     そのため祐一はだれる事無く、いつもより動き回っていた。

 

    「祐一さん、元気ですね」
    「向こうの夏よりは遥かに過ごしやすいですから」

 

     祐一と対称的に水瀬 秋子はだらしなくテーブルに顔を載せていた。
     目の前にある氷が浮かんでいるコップには冷え切っている麦茶が注がれていた。
     秋子は水滴の付いたコップを掴むと一口で飲み干して、お代りを祐一に催促する。

 

    「そんなに一気に飲むから余計だれるんですよ」
    「そんな事言われても暑いものは暑いんです」

 

     秋子は身を乗り出して、祐一に詰め寄る。
     秋子の細かなきめがある肌からじんわりと汗が滲んでおり扇情的だった。
     そして、秋子は麦茶を要求せずにコップに入っている氷を齧りだした。
     ポリポリと音が何重にも重ねられて響く。

 

    「名雪と比べると秋子さんは夏は苦手なんですね」

 

     秋子の娘、名雪は今年最後の部活動に参加して陸上部員を引っ張っているだろう。
     祐一はちらりと秋子を見るがテーブルの上に腕を伸ばして、暑いと呟いていた。
     夏に稼動している筈のクーラーは現在、故障中なので冷房の恩恵は受けられなかった。
     そのため、秋子は夏になって早々とだれる事が多くなった。

 

    「名雪が異常なんです!!」

 

     はいはい、と祐一は答えを受け流して椅子から立ち上がった。
     その時、リビングに置かれている電話音が一定の間隔で鳴り出した。

 

    「祐一さんが出てください」
    「……居候の身はつらいな」

 

     鳴り響く受話器を祐一は溜息を吐きながら掴んだ。

 

    「もしもし、相……水瀬ですが」

 

     自分の苗字を言いそうになり、慌てて居候先の苗字を名乗った。
     その電話の相手は長年祐一の傍に居た家族からだった。

 

    「よう、元気か愚息」
    「久しぶりだな。母さん」

 

     7ヶ月振りだな、とお互いにタイミング良く同じ事をを切り出した。
     暫らく、親子の会話が弾み笑い声も聞こえてきた。

 

    「……所で何の様だ? 世間話をしたくて掛けて来た訳じゃないだろ」
    「まあ、簡単に言えば一度家に帰るから来いって事だ」
    「ちょ、ちょっと待て帰京しろと言う事か?!」

 

     怒鳴った声を響かせた為、秋子の身体がピクリと身動ぎした。
     秋子は顔を上げて、祐一の方を見ている。

 

    「お前がこれからどうするのか聞いていないからな」
    「うっ……それは」
    「大学に行くのか、就職するのかも不明……って訳じゃいかないだろ?」
    「……分かったよ。何時帰れば良いんだ?」
    「明後日には帰るから、先に帰って埃が溜まっている家を掃除しておけ」

 

     祐一はポリポリと頭を掻き聞こえない様に受話機を抑えてありがとな、と呟いた。

 

    「秋子と電話変わってくれ」

 

     へいへい、と気の抜けた返事をしつつだらけている秋子に電話を渡す。
     そして、姉妹の長くて楽しげな会話が宴の様に交されていく。

 

     

 

    「……と、言う訳だから」

 

     祐一は目の前にいる少女――――名雪に事情を説明していた。
     部活から帰って来た名雪は汗をシャワーで流し、滴る長い髪を拭きながらリビングのソファーに座り事情を聞いていた。

 

    「ふーん……でどれくらい向こうにいるの?」
    「まあ、軽く見積もって1週間と見ている」

 

     名雪は髪を拭くのを止め、祐一の顔を見上げる。

 

    「卒業するまでここに住むのが、確かなら何も文句は無いよ」
    「……ああ、それは確かだ」
    「じゃあ、お土産お願いね」
    「あまり、期待しないでおけよ」

 

     え〜、と文句を言いつつ納得している名雪の顔がそこにあった。
     しかし祐一は忘れなきゃな、と聞こえない様に呟いた。

 

     

 

      翌日。
     外はまだ薄っすらと暗く、スズメのさえずりが途切れ途切れに聞こえている。
     祐一は膨らんだボストンバックを置き、玄関で靴紐を結んでいた。
     その後ろには秋子が祐一の見送りの為に佇んでいた。
     名雪は昨日の疲れがあるのか、いつも通りの寝坊なのか不明だがこの場にはいなかった。

 

    「いってらっしゃい、祐一さん」
    「行って来ます、秋子さん」

 

     祐一は玄関を開けて、いつも通り学校に行く様に挨拶をして旅立った。

 

     

 

    「やれやれ、あの寝ボスケが朝早くから見送りなんか出来ないよなあ」
    「誰が寝ボスケなの?」
    「そりゃあ……おい、何故ここにいる? それに部活があるんだろ?」

 

     祐一は顔を引き攣らせながら、目の前にいる名雪の顔を見つめた。
     うーん、気になったからと簡潔な答えは祐一に通らなかった。
     名雪はチラリと赤い舌を出して、悪戯が成功したような顔は祐一を溜息吐かせた。

 

    「お母さんには置手紙してあるから大丈夫でしょ」
    「おい、それはどうかと思うが……」
    「子供じゃないんだから、そこまで心配しないと思うよ」

 

     また祐一が溜息吐くと同時に電車のアナウンスがもうすぐ到着するのを告げた。
     祐一は立ち上がり、荷台に載せていたボストンバックを取り出した。
     名雪はこの席に来た時にそのまま手元にあるボストンバックを掴んだ。
     そして、二人を乗せた列車は祐一の住む町に到着した。