6月半ばの朝、名雪は寝ぼけ眼だがのっそりと身体を起こす。
     チクタク、と秒針を刻んでいる多数の時計があるがまだ、どの時計もけたたましくベルが鳴る前である。
     ベルがセットされている時間――9時には程遠い8時の事であった。
     名雪は眼を擦りながら、リビングに下りていくがこの時間だと秋子以外は起きていない。
     居候の祐一はまだ夢の中であり、暫くは起きてこないだろう。
     秋子は名雪が起きてくるとは思っていなかったのか、ちょっとだけ驚いた表情と戸惑いを見せる。

 

    「お、おはよう。名雪」

 

     むぅ、と名雪は口を尖らせてしまうが挨拶だけは欠かさずに行う。
     小さく欠伸をしつつ、名雪は自分の席に腰を下ろす。

 

    「今日は珍しいけど、何か良い事がありそうなの?」
    「特に無いと思うけど……」

 

     名雪は淹れたてのコーヒーを飲むが、うっかり何も入れなかったので眉を八の字にしかめる。
     何事も無かったように砂糖を小さじ一杯分入れ直して、もう一度口を付ける。

 

    「そうそう、こういう広告あったわよ」

 

     はい、と秋子は可愛らしくプリントされた広告を手渡す。
     本日開店と書かれた紙には子猫と子犬の写真が写っており、名雪の顔がだらしなく緩み目が輝いている。
     つまり、この広告はペットショップ開店のお知らせといったところだろう。
     生殺しだよ、と名雪はぼやいてしまう。
     名雪は猫好きなのに猫アレルギーなので、触れない抱っこ出来ないという事が重く圧し掛かる。
     なので、ペットショップのウインドから眺めるしか出来ないのは苦痛であった。
     それにいつも同じ店に見に行っても店員に顔を覚えられて、抱っこしますか?、と言われて断る方がよっぽど苦痛。
     店員は善意で言ってくるので、悪意は勿論無いが名雪からしたら悪意はひしひし感じてしまう。
     新しい店なら忙しいと思うので、最初から声を掛けられる可能性は低いだろう。
     狐色に焼けたトーストをかじりながら、そんな事を考える名雪。

 

    「9時30分に開店かぁ」

 

     短針は7と8の間を指して、長針は6を指していたので、余裕を持って出れば間に合うと判断する。
     そんな事を考えていると、祐一がリビングに下りてきたが名雪が起きているのでもう一度部屋に戻って寝ようとする。

 

    「失礼だよ。祐一」

 

     悪い悪いと謝る祐一だが、名雪は頬を膨らませつつ、そっぽ向くが直ぐに表情を和らげる。

 

    「デートしてくれたら、許してあげる」
    「でぇーとぉ?」

 

     聞き返す祐一だが、名雪が持つペットショップ開店の広告を見せられて納得する。
     祐一も名雪の猫好きは分かっているので、苦笑いを漏らす。
     名雪はトーストとコーヒーを胃に流し込むと、支度するためにうきうきしながら自室に戻った。

 

 

     名雪は白のTシャツに上着を羽織って、デニム生地のミニスカートでミュールを履いているので活動的な服装だった。
     ミニスカートなので陸上部で鍛え上げた無駄に脂肪がない健脚美を覗かせている。
     じっくりと名雪の足を見てしまうが、上も6月とはいえ薄着に近いので胸の形がうっすらと分かる。

 

    「何を見てるの?」

 

     ジッ、と見られている場所を分かっていて上目遣いで祐一を見上げる。
     祐一はしどろもどろになるが、慌てて話題を切り替える。

 

    「そ、そのペットの場所はどこなんだ?」

 

     んー、と名雪は持ってきた広告を見て、すぐそこだねと方向に向かってを指を指す。
     既に開店しているらしく、遠目からでも賑わっているので名雪は祐一の腕を引っ張って移動。
     店前に展示されているペットは可愛らしい仕草や眠そうにしてたり、ゲージ内で活動的に動いたりしている。

 

    「可愛いよぅ」

 

     べったりと真っ白の長毛を持つ子猫のゲージに前に張り付いており、ガラス張りのゲージには名雪の指紋がついている事だろう。
     名雪は子猫の前に人差し指を差し出して、すぅとゆっくり動かすと子猫は玩具だと思ったのか釣られて動く。
     祐一は名雪の行動を微笑ましく見続けた。

 

 

 

 

    「そろそろ帰ろうっか」
    「もう良いのか?」

 

     滞在時間はたったの1時間ほどだが、名雪は充実感ある満面の笑顔であった。
     可愛い子猫見られただけでも満足だよ、と言い切るがその顔はちょっとだけ曇っていた。
     やはり、飼えないのは辛い事が祐一にも伝わってくる。
     帰路の途中でニャーと猫の鳴き声に反応した名雪。
     キョロキョロ、と周囲を見回すと白い毛がベースで茶色い模様の子猫が塀の上から飛び下りて、名雪の足にくっ付く。

 

    「くしゅん……首輪がないし親猫がいな、くしゅ」

 

     既に猫アレルギーが発生して、涙目とくしゃみのコンボを繰り返す名雪。
     うちじゃ飼えないし、と呟いてくしゃみを一発。

 

    「香里に飼ってもらったらどうだ?」
    「それしかないね……くしゅっ」

 

     祐一は子猫を抱き上げるが爪を立てられて、見事な引っかき傷が顔に出来る。
     その後も美坂家に着くまで祐一は顔を引っ掻かれて、猫を抱いてなければ喧嘩で彼女に引っ掻かれた傷に見える。

 

    「良いなぁ、抱っこが出来て」
    「この引っ掻かれた顔を見てもかっ」

 

     祐一が絶叫を響かせて、子猫を脅かせて更に引っ掻かれて数え切れない程の傷を作ってしまった。

 

 

     

 

     前回の猫と共に……の前にあたる話です。