美坂家に名雪の諸事情によって子猫が来てから一週間経った。
     家族全員に可愛がられているが特に香里には懐いており、その状況を栞が見るたびにブーたれている。
     香里自体も何故懐かれているかが分かっていないので、良く子猫を抱き上げながら首を傾げているのが多い。
     今日も子猫はシッポを揺らしながら、香里の後ろにくっ付きながら歩いていた。

 

    「何で、そこまであたしに懐くのかしら?」

 

     香里は溜息を吐きながら疑問の答えを何も言わない子猫に言うが、その顔はとても嫌そうな表情ではない。

 

    「なんで、お姉ちゃんばかりに懐くんですかー」

 

     栞が突然、背後から声を荒げたので子猫は毛を逆立ててサッと走り去って行ってしまった。
     あー、と栞はがっくりと肩を落として何故か香里を睨み付ける。

 

    「わ、私が名付け親なのに何故っ」
    「……知らないわよ、あたしに言われても」

 

     香里は素っ気無く答えるが、逆に栞の神経を逆撫でしてしまった。
     むぅ、と唸りながら頬を膨らませている。
     子猫は廊下の角からちょこんと顔を出して、栞の様子を窺いつつ香里の足元に近寄ろうとしている。
     栞は子猫の様子を見ると溜息を吐いてから、背中に哀愁を漂わせてこの場から退散した。
     栞がリビングに戻るのを確認すると子猫はニャーと鳴きながら、香里の足に身を摺り寄せる。

 

    「ここまで好かれると名雪も何か言いそうね」

 

     香里は子猫に質問を確認するように見つめるが、子猫は首を傾げていた。

 

 

     香里は自室に戻り、椅子に座りながら机の上に置いていた携帯電話に手を伸ばす。
     短縮ダイヤルに登録してある番号を押して、11桁のダイヤルと相手の名前が表示される。
     数秒近くすると相手の声が明瞭に聞こえたので、簡単な挨拶からする。
     電話の相手は子猫を連れてきた人物―――名雪である。

 

    「所で、あたしに凄く懐くのは何故?」

 

     んー、と名雪が電話越しで考えている声が香里の耳元にも聞こえてきた。
     餌あげたとかは?、と質問された香里は日常の一コマから思い出そうとする。

 

    「そういえば、1ヶ月ほど前に餌をあげた事あるけどこの子猫だったかしら?」

 

     それしかないんじゃないの?、と名雪は決め付ける様に言い切って、携帯電話を切ってしまう。
     ちょっと、と香里は電源を切られた電話に向かって呼びかけるが既に遅かった。
     1ヶ月前に餌をあげたと思われる猫とベッドの上で丸まっている子猫の容姿を合わせてみるが、ピンと来ない様だ。
     まぁ良いか、と呟いて香里はベッドの上に座って子猫を膝の上に乗せる。
     子猫は満足そうにニャーと鳴いた。
     暫らくすると香里はうとうと、と意識が眠そうになっており膝の上に乗っている子猫も同様に小さく欠伸を洩らした。

 

 

     コンコンと控えめなノックの音が響くので、香里は身を起こして目を擦りながらドアに向かう。
     子猫は何時の間に膝の上から降りて部屋から出ていったらしく、姿が確認出来ない。

 

    「なんの用?」

 

     香里は欠伸をしながら、目の前にいる栞に質問をする。
     栞は何も言わずにグィッと力強く香里の腕を引っ張り、何も言わない。
     リビングに移動をすると、シッと口に人差し指を当てられる。
     そして、反対の手で窓に向かって指を指しているので、香里はつられて視線を移動させる。
     その視線の先には猫がブロック塀の上で丸くなりながら、家の中を覗くように睨んでいた。
     猫の容姿は子猫と同じ様に白い毛がベースとなっており、茶色い縞模様。
     ああ、と香里は呟いてようやく事情が呑み込める。
     親猫が子猫を取り返しに来たと言う事が。

 

    「お姉ちゃんどうしますか?」

 

     香里は眉間に皺を寄せながら、この状況がどうしたら好転するかを考えいた。
     子猫の様子は、窓の前にちょこんと座って微動もせず親猫を眺めている。
     ただ、無邪気な表情がいつもより寂しげなのを除けばの話だが。
     香里は子猫の傍に座り、顎を撫でると気持ちよさそうに目を細める。

 

    「あたしは、帰した方が良いと思うけど栞はどう思う?」
    「そうですね……おねえちゃんと同じ考えですよ」

 

     じゃあ決定ね、と香里は親と話さないで決定をしてしまう。
     名残惜しそうに香里はゆっくりと窓を開けるが、途中まで開けた時にはスルリと猫らしく細い隙間を抜ける。
     子猫は一目だけ香里の方を向いて寂しげに鳴く。
     そして、今までの事が何も無かった様に親猫の方に向かって歩き出してブロック塀に飛び移る。
     親猫は子猫の毛並みを整えてから音も無く塀の向こう側に飛び降りて消えて行き、子猫もそれに倣ってスッと消えた。

 

    「……最後ぐらい私に懐いて欲しかったですね」

 

     栞の目は僅かに涙目になっており、ちょっぴりと目が赤くなっているのがその証拠。

 

    「あの子はまた来るかしら?」
    「その点は大丈夫ですよ。一週間だけとは言え家族ですから」

 

     そうね、と香里は呟く。

 

    「それに名前はあの子じゃなくて、―――……ですよ」

 

     時折、美坂家の庭には白と茶色い縞模様の一匹の子猫が無邪気に遊んでいるのがちょっとだけ近所でも有名になっていった。

 

 


 

     春なので出会いと別れの意味があるSSに仕上げて見ました。